ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

てんつく怒髪

 「というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです」(ロマ1:18)。
 落合恵子氏は、ほぼ私と同じ世代で、長年愛するお母様をケアして来た事情も私と似ています。

 多様な活動をしていますが、特に1976年に児童書籍専門店「クレヨンハウス」を開き、子どもの為に良質な本を提供して来ました。とりわけ子どもの将来については、深い関心を抱いていました。
 既にチェルノブイリ原発事故の直後、クレヨンハウスに高木仁三郎氏を招いて、勉強会を開催していました。しかしそれ以後「原発」への思いが多少遠のいてしまった事を、落合氏は上記の本で告白しており、3・11が起きてから、そうした自分への憤りを含めた大いなる憤りを抱いて、今日も活動を続けています。落合氏の髪型を見ると特異で、さながら「天衝く怒髪」と言えるでしょう。
 以下この本のまえがきから。*この本は2012年10月岩波書店発刊のものです。
 わたしは怒る。原子力発電に。「原発的なすべて」の構造に。わたしは怒る。この、支配と被支配の構造に。わたしは怒る。一部の利益のために、多くに犠牲を強いて顧みることのないこの根深い差別のシステムに。わたしは怒る。子どもや、これから生まれてくる子どもの人生に思いを馳せることなく、原発を推めてきたものたちに。彼らを、わたしたちの「代表」としてきてしまったことに。それを結果的に許容してきてしまったわたし自身に。わたしは怒る。「怒ってどうなる」、という醒めた声に。怒ってどうなるかは、わからない。しかし、どうかなるという予測がたった時だけ、怒るのか?そんなケチな怒りなら要らない、とわたしは怒る。
 見事な怒りだと思います。そして落合氏は、その翌月からブログを開始して、反原発への思いを凝縮させます。
 「海外のメディアが被災地のひとたちの『我慢強さ』をたたえたという報道が、日本のメディアでも大きくとりあげられている…しかし、それを、「美談」にするのは危険ではないか。彼らの多くは、喜んで「我慢」をしているのではなく、「我慢」を強いられているのである」(2011年4月7日)。
 「正式な会議なし、決定の過程は不透明、議事録もなしという形で、しかし発表されたそれ(*年間被曝量二〇ミリシーベルト)は、ひとり歩きをし、福島の子どもたちに適用されているのだ。今日もまた。」(同年5月5日)。
 「怒髪に戻って、さあ、さらに憤ろう。告発しよう…わたしたちは決して決してわすれてはならない」(同年6月6日)。
 「不要な電気を使う必要はまったくないし、電力会社に余分な料金を支払う必要もまったくない。だが、熱中症になってまで節電をすることはない」(同年7月11日)。
 「自然への畏敬を忘れ、この地震大国に五四基もの原子力発電所をつくってしまった責任は、ほかでもないわたしたち大人にある。わたしたちの愚かな選択のために、子どもたちは、原子力発電の被害者として生まれて、生きていく社会になってしまった」(同年7月5日)。
 「いのちあるものと共存してはならないものを、わたしたちの社会は持ってしまったのだ。むろん核のゴミの問題も依然解決してはいない」(同年11月2日)。
 「放射性廃棄物の処理能力を持たない人間が、原発を持つことの罪深さを、わたしたちは声にしていきましょう」(同年9月19日「さようなら原発」五万人集会で)。
 「人災 福島原発過酷事故の責任を わたしたちは はっきり糾明すべきだ そこから新しい一歩がはじまる 権力なき弱者のみが懺悔する 奇妙な社会の特殊性から この不幸な機会に 脱却しようではないか 問うべき責任を問わず ひたすら沈黙する習性から 今こそ 自己を解き放とうではないか」(同年12月26日の堀場清子氏の詩の引用)。
 「二〇一一年三月一一日から一年がたとうとしている。あの凄まじい津波の映像に息を呑み、福島第一原発の水素爆発による無味無臭無音不可視腐食性の放射能の不気味さを思いながら、『あれから一年という儀式』を終えたら…。現在進行形の過酷事故も、いい加減なストレステストも、どこか距離ある記憶になってしまうのか。そして再稼働へとアクセルは踏まれるのか」(2012年3月9日)。
 「そしてわたしたちは忘れません。『年寄りは足手まといになります。わたしたちはお墓に避難します』と書いて亡くなった、あの高齢の女性の震えるような思いを」(同年3月24日代々木公園)。
 「野田政権はこれだけ多くの原発に反対する声を無視し、『福島』の喪失の痛みを放棄し、原発にしがみつく…あの過酷事故で、故郷を、ひととのつながりを、明日への設計をもすべて奪われたひとたちの苦悩に喪失に悲しみに立ち止まる、最低限の感受性をも放棄して、一体、誰のために何のために、この裏切りを重ねるのか」(同年7月6日)。
 *あれから4年目を迎えるというのに、私たちはもう忘れかかっているのでしょうか。震災直後からの落合氏のブログは、今なお新鮮です。『てんつく怒髪』一読を。地に垂れる怒髪とならない為に。