ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

郡山市ほぼ全域を歩いてみた

 「彼らはその次の日にも、町を一度回って宿営に帰り、六日、そのようにした」(ヨシュア6:14)。
 2015年3月17日、初めて福島県郡山市を訪れ、ほぼ全域を歩くという無茶な?計画を立て、実行しました。朝9時郡山を出て、実に夜の7時頃まで、時に街の不動産屋にも寄りながら、ひたすらどのような市なのか、周囲をデジカメで撮りながら歩き続けました。

 まず国道4号を南下し、物件の多い安積町を遠く見やりながら右折し、私の友人の紹介で深沢町にある日本共産党支部を訪れました。目的は連帯保証人になってくれる人を探す為でした。女性の方が丁寧に応対してくれましたが、私の思惑は外れました。生活保護者の急増で、その方々の賃貸を確保する為に議員が動いていて、私のような者はとても無理でした。多少気落ちしながら、次の目標である近くのK不動産采根支店に寄ってみました。そこは連帯保証人が県外のしかも友人でもOKとの事で、いろいろ伺いました。物件は最も多く扱っている店の一つなので、一応頭に入れておいて、さらに西の大槻町を目指して歩きました。かつてブログ仲間のEPOMさんが住んでいた事のある町です。しかしそこはもう昔のイメージではなく、真っ直ぐな道がずっと続き、その周囲は新しい住宅が一杯ありました。同時にその地域は現在住宅除染作業が盛んに行われていました。すごくしのぎやすい良い天気だったのに、子どもを一人も見かけませんでした。外に出ないで引きこもっているのでしょうか。右画像。


 大槻町から右折し、北上する形で歩き、さらに右折してさくら通りという、郡山駅まで直行の道を進みました。郡山女子大・短大そして附属高校、その東隣に開成山公園という広い公園がある通りです。
 画像左の開成山公園の一角です。広々とした美しい場所なのに、幼児を連れたお母さんは一人もいませんでした。ちょうど除染後の状況を記した看板がありました。ほぼ4年前枚に2.7マイクロシーベルトだったのが、この3月で0.2マイクロシーベルトになっています。近頃除染でやっとここまで下げたかという感じで、市民の方々は実態を良くご存じという印象でした。つまり除染は移染に過ぎないと。

 この道路を挟んでひだり反対側が郡山市役所です。そこの細い道を北上し富田町に向かいました。すると途中に大島西公園と大島小があるので、そこの道路を主体に除染作業がされていました。覆いと看板が目立ちます。

 そして逢瀬川の低地を渡ると、地図では応急仮設住宅がある筈でした。しかし見当たりません。どうも壊した後の更地としか見えませんでした。そこに住んでおられた方々は、強制退去だったのか、適当な住処が見つかり出て行ったのか、知る由もありませんでした。そこに復興公営住宅が建つという標識はありませんでした。
 いよいよ最終の富久山町です。そこも物件はわりに多くあります。東北新幹線が近くを通っています。
 時間はもう6時半過ぎ、あたりは真っ暗です。国道4号をひたすら南下して郡山駅に向かいました。両足の爪のあたりがひどく痛み、歩く速度が落ちました。そしてやっと駅近くの皓皓とした光が見え始め安堵しました。新幹線の予定は7時半、ぎりぎり間に合いました。
 イスラエルの人々はエリコの町をぐるっと巡り、町を攻め取りました。それにあやかっての事でしたが、まだ予断は許しません。苦しみの果てに住まいを確保出来るのか。4月の3日に全てがかかっています。