ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

いよいよ福島に行きます

 「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア1:9)。
 福島原発事故以来、私たち東京人がその原発からの電気をずっと享受していた事を知り、福島は過去にいろいろ恩恵があったにせよ、現在いまだかつてない苦しみの中にある事を想います。その復興は原発事故が収拾出来ない以上、途方もなく長い期間にわたるでしょう。いや広大な山林を抱えている以上、除染による復興など、事実上あり得ないと思っています。
 その加害者側にいた私は、独身でもあり、歳も相当進みほぼ放射能による癌化とは無関係に死んで行く事を考えた時、福島へ行き、何らかの形で苦しんでいる方々の傍にいて、多様なお手伝いをしたいというのが、ここ4年間にわたる持続的な願望でした。
 しかしそのビジョンと現実は、あまりに厳しく、国道6号開通と共に友人と初めて原発中心地を見ながら、南相馬に行き、次いで二本松、福島市松川町郡山市を視察し、賃貸物件を探して来ましたが、本人の収入や保証人の条件の厚い壁に阻まれ、諦めざると得なくなりました。
 住む拠点がなければ活動も出来ません。南相馬・二本松と、役所が間に入っての賃貸か売買の情報もなく、NPO法人など、例えば西白河郡西郷村にあっても、そこに加わるのは極めて厳しい状態でした。
 ハローワーク情報も見ていましたが、そこで気づいたのが、現在福島全体で行なわれている除染作業でした。これは地元そして全国の会社が人を集め、福島でアパートを借り上げて、住宅や農地や山林の除染作業をさせるというものでした。その為に一般の賃貸物件が無くなり、不動産会社も他県の正体のわからない人を入れさせるのに躊躇し、保証会社が条件を厳しくして入居者を厳選する羽目になったのでした。
 幾つか試みましたが、高齢で断られたのが数件あり、面接に漕ぎ着けたある会社の人は、私など3日ともたないと言われ、すごすご引き下がりました。しかし次の日電話して来た会社は、そんな厳しい所だけでなく、その人に見合った軽作業が幾らでもあるから、ネットで履歴書を送れと言われました。そ10日ほどしてその審査だけでOKとなり、5月23日以後部屋が空くから、都合の良い日に引っ越して来いと言われました。いろいろ周囲から忠告を受けましたが、とにかく除染作業の実態を見ておくのもよいと思い、24日から行き、3日後から仕事をする事になりました。しかしそこは郡山市の賃貸住宅の一つを借り上げ、3LDKの部屋に3人で共同生活という条件でした。寮・社宅費用ゼロ、光熱費ゼロです。しかし先に入っているのがどんな人だか分かりません。いろいろ想定しながら、とにかく行く事にしました。作業場は二本松で住宅除染です。月〜土まで朝8時から5時まで、かなりきついのは間違いありません。そしてそこに行くまで1時間近くかかるので、3度の食事を自分で作られなければならず、6時に帰るともう弁当まで作り終えると、後は寝るだけという形になりそうです。
 日曜だけが休み、悪天候の平日と、会社の決めた僅かな日々が休みです。ではその時パソコンでネットが出来るかと言いますと、会社は回線を引いても良いと言いましたが、大家さんの意向も訊かねばならず、さんざ考えて結局ネットはやらず、從ってブログもしばらく中止、日記だけ細かく記しておくだけにしました。3人の生活ですから荷物の安全面の配慮も必要で、それも他の二人がどう確保しているのか、行って訊いてみないと分かりません。
 免許証必須なので、慣れたらダンプで放射能汚染物を運ぶ仕事も出て来そうです。数日前福島民報に載った東隣の川俣町山木屋地区での作業光景に、比較的若い女性が5人写っていました。女性もこれからという事で訴えたかったのかも知れません。ならば私もと、冒頭聖句を繰り返し読み、毎日身体を鍛えています。
 そして何か月か何年先か分かりませんが、少しまとまったお金が入れば、古民家でも探して所有権で入りたいと願っています。自分のものなら何ら気兼ねする事なく、除染=移染の実態をブログを通して発信出来るからです。
 今のマンションを売ってほぼ等価交換的に買えそうな物件は、いわき市からかの有名な飯館村の北隣の伊達市にあります。特に伊達ではまた飯館の除染や農業の再開のお手伝いが出来るかと期待しています。日本一美しいと言われた飯館ですが、楽観は禁物です。他にも安倍首相の号令で南相馬の西、楢葉町、冨岡町など、後1年までに全て除染という無茶な計画が策定されました。この作業で倒れる人が多く出ると思いますが、それも広く震災の三次災害という事になるでしょうか。
 これまでブログでお世話になった皆様に深くお礼申し上げます。コメント欄で いつか私もだいぶ鍛えられました。1500余回更新で、特にブログ友だちが出来るきっかけになったのは、2011年8月15日のブログに初めてiireiさんがコメントして下さってからです。後はもう論理や料理の猛者たちばかりで、コメント返しはたじたじでした。
 いつか福島の一軒家で再開出来る事を期待しつつ、尾崎紀世彦のヒット曲にちなみ「また逢う日まで」!それまで生きていればの話ですが^o^