ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

満身創痍による帰還

 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます(Ⅰコリ10:13 )。
 2015年7月11日晩、まさに満身創痍という表現がぴったりの状態で、福島の郡山から帰って来ました。

 きっかけは9日これ以上除染の仕事を続けられないと、社長に辞意を伝えた後生じました。急な崖面の上に生えていた青竹を適当に間引いて、崖から突き落とし、それをダンプで運びやすいように、出来るだけ平行に積み重ねるという作業を続けていた時です。太さ10センチ、長さ4メートルはあろうかと思われる竹を、絡み合った状態から抜き出して、ダンプに載せやすく整えていました。これだけでも体力のない私はへとへとで、長靴の足が重なった竹に躓き、何度も転倒していました。そして作業終了近く、1本の竹に躓いて派手に転倒し、農家の舗装してある道に放り出されました。その時これまで3回ほど傷つけ膿も出ていた傷口をさらに深く傷つけ、相当な出血を引き起こしました。厚い作業ズボンの表まで血が浸透しており、経皮鎮痛消炎剤(ゲル状に固まる)を塗って破傷風を防いで、作業を終えて帰りました。借りたアパートの2階が個室になっているのですが、異変はその時気づきました。痛んで2階まで上れないのです。原因はその傷と共に、膝の皿の部分を強打した為でした。
 翌日足場の悪い法面途中にある黒いフレコンバッグ(例の福島中で見られる汚染物質を詰めた袋)を、皆で押して何とかユニック(クレーン搭載の吊る作業を行う車)の届く場所まで移動し、車に載せるという重労働が入っていたので、歩けない私は当然休む事になりました。部屋の荷物を急遽片付け、11日何とか帰れるようにしました。そしてアパートから50分かけて郡山駅に到着したのでした。
 16日まで疲労困憊、ベッドで休み翌17日病院へ行ったのですが、既に会社の一般検診で肝機能が引っかかっていたため、腹部エコーを行い、その時右肋骨がひどく痛んでいるのがわかりました。左の肋骨はとっくに痛んでいましたが、これらはダンプの上でフレコンを多く載せられるよう、思い切り身体で押し付ける作業を行っていて傷つけたものと思われます。今も痛んでいます。
 さらに右手首ですが、やはりダンプとフレコンの間に挟み、あわや潰れるという状態になり、抜こうとして親指とその筋をひねった為、現在もまだ水道の蛇口をひねったり、モノを書いたり、包丁を握ったりすると、痛みが走るほどです。
 この除染作業の開始時には、茨をフレコンに詰める時両手の手の平を傷つけ、何度もこすっているうち傷口が広がって、2週間以上は痛みのために、食事の支度もロクに出来ない状態でした。汗の手ぬぐいを両手で絞れないなんて、生まれて初めての経験でした。
 そして病院検査で引っかかったHCVC型肝炎ウイルス)の活発化です。血液検査で肝臓の数値を示すトップに出てくるAST、ALTはほぼ正常なのに、別の検査で中程度とされ、8月13日消化器内科の医者に診てもらいますが、どうも1ヶ月余の激しい労働で、眠っていたウイルスが動き出したようです。1976年の食道裂傷で手術し、輸血を受けた時感染したもので、ここ数十年まったく問題がなかったのに、松戸に戻り、すぐ近所まで買い物に出かけても、帰宅してひどい疲労感に襲われ、やはり現在も続いている為、その犯人はウイルスだと見当をつけました。中程度というのが、肝硬変又は原発性肝癌に向かっているのか、よくわかりませんが、福島支援の第二ラウンドに大きな影響を与えそうです。
 多くのブログ仲間の皆様の励ましを受けて、福島に出かけました。この状態で各ブログを閲覧する根気が今ありません。もう少し休んでから、本格的に動き出したいと思っています。申し訳ありませんが、しばらく我慢のほどを(泣)
 それから本格的な除染日記、又は除染論を書く予定です。