ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

止めよう!辺野古埋立て9・12国会前集会に参加して

 「彼は不意に州の肥沃な地域に侵入し、彼の父たちも、父の父たちもしなかったことを行う。彼は、そのかすめ奪った物、分捕り物、財宝を、彼らの間で分け合う」(ダニエル11:24)

 2015年9月12日(土)上記の題で、14時から15時半(実際には16時)まで、国会議事堂周辺にて集会が行われ、最後に包囲した参加者が互いに手をつないで、「辺野古に基地をつくるな!」とのシュプレヒコールを行いました。私も参加して来ました。本当は静養の身ですが、それだけでは足が弱るので、いつものように地下鉄日比谷駅から歩いて国会正門前まで行きました。
 1945年の沖縄戦に勝利した米国は、そこに基地を集中させ今日に至っていますが、やまとんちゅうの戦後復興と繁栄は、沖縄犠牲の上に築き挙げられて来ました。この構図は福島原発と似ています。首都圏の贅沢な電力消費と繁栄は、ひとえに福島の、とりわけ第一原発の犠牲の上に成り立ち、2011年3月11日にまで至りました。
 普天間では密集した住宅地に囲まれる形で基地が存在します。2004年8月13日、飛行場から友人関係の方と高速道路で、普天間基地を横目で眺めながら本部の港に向かっていた時、沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落しました。当然起こり得る事故と明確に認識したのは、その頃からでした。そして今その普天間基地辺野古に移し、美しい珊瑚とジュゴンの海を埋め立てるという暴挙を、米国は行おうとしています。翁長雄志知事は14日にも、埋め立て承認を取り消す方針を固めましたが、それを支援する形での国会前集会でした。8月30日の大集会の人数には及ばなかったものの、霞が関方面から正門に向けて、続々と人々が集まって来ました。

 私は除染で傷が深くなった両足静脈瘤の為、長い間立っていられないので、開放されている憲政記念公園の南公園に入り、ベンチに座りながら集会のメッセージを聞いていました。写真右はそこから北公園方面に向かう人々。
 そこに向かう途中でシールズの若い人々が陣取っているのを見ました。この日は歩道の仕切りが厳然と存在し、集会半ばには、霞が関方面に至るまで人々はぎっしり、そちらに向かう事も出来ない程でした。

 参加者の数は主催者側発表で2万2千人とありましたが、反安保関連法案と密接に関連する集会だったので、まさに国会を包囲する形で、多くの人々が集まった感じです。
 いつものようにリレートークで、ヘリ基地反対協議会の安次富浩氏の訴えから始まり、20名以上の方々が壇上で鋭い抗議の声を挙げていました。
 途中で「沖縄を返せ」という歌が入り、最初はわかりませんでしたが、短い歌詞で当日配布されたステッカーにも載っていたので、自然に覚えられ皆さんと唱和しました。
 その後ハンガーストライキを行った専修大学元木大介さん、シールズの中心メンバー元山仁士郎さんも発言しました。

 3時半の予定が4時近く、司会者の音頭で包囲した人々が互いに手を繋ぎ合い、議事堂に向けてシュプレヒコールを行いました。旧約のエリコはこれで陥落しましたが、国会は強固な砦でした。集会の発言者に共通していた事ですが、今後どんな事態が起ころうと、真の民主主義の為、こうした集会とデモを持続させてゆこうという事で一致、いつかこの砦は崩れ去るでしょう。