ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

9・23さようなら原発さようなら戦争集会に参加して

 聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4:23)
 2015年9月23日好天気の中、北松戸駅から千代田線の明治神宮前原宿駅で降り、代々木公園で行われた上記集会に行って来ました。

 メインの集会に先立つリレートーク集会に少し遅れて到着しました。シールズ琉球の元山氏、ND/新外交イニシアティブの猿田氏の短いスピーチがあった後、弁護士の呉東雅彦氏が、原子力空母R・レーガン号の横須賀寄港反対運動について話をしました。この空母は3・11の時の米トモダチ作戦に参加し、米水兵が大量被ばく、250人が病気になり、3人が死亡するという、ショッキングな出来事が紹介され、その被ばくの空母の横須賀常駐に反対するアピールがされました。写真右。
 そしてすぐ隣のステージで1時半からメインのトークが始まりました。司会は女優で3・11以後積極的に集会の司会を引き受けている木内みどりさんで、まずはわが大先輩(と言っても歳は1つ上)の落合恵子氏。相変わらず鋭い口調で反原発反安保の訴えをしました。
 次はまさに大先輩の澤地久枝氏。1930年生まれ和服のとても似合う方です(本日は洋服でした)。五輪の話題の陰に原発が隠されてしまった由々しき事態を訴えていました。

 3番目は映画監督、たまに弁護士と称する、よく知られた河合弘之氏。写真左。大飯・高浜原発訴訟を勝利に導いた方です。川内原発は敗北しましたが、これをサッカーに譬え、前者は10点、後者は1点、これは大勝利で、1勝1敗と捉えてはいけないと主張しました。一喜一憂・思い詰めてはいけない。1再稼動を出来るだけ遅らせる2毎日戦いを続ける3ドイツのように自然エネルギーを推進するなどの完全勝利への秘訣を語りました。原発の事は私に聞いてくれと自負するだけあって、大変説得力がありました。

 4番目はこれまた福島原発告訴団団長として知られている武藤類子氏。福島での震災関連死者数は、既に津波地震などによる死者数を超えていて、なおも増える事は確実。そうした事実はマスコミでは全く報道されていない。4年半経過して美しい森林が放射能汚染でますます深刻になっている事などを報告しました。写真右。
 5番目は福島県富岡町から北海道に避難している宍戸隆子氏。北海道へ逃げた事で地元の人々との間に分断がある事を述べていましたが、それは昨日私が参加した松戸の「黄色いハンカチ」での5時間20分に及んだトーク「語り合おう私たちのこれから」でも、取り上げられた深刻な問題です。2年後の県外避難者への住宅補助金打ち切りなどを巡り、様々な格差が生じており、この軋轢解消は全く容易ではありません。
 6番目は川内原発に反対する鹿児島県共闘会議の野呂正和氏。トラブルを起こした1号機の三菱重工製蒸気発生器と同じものは、米国では放射能漏れを起こし、多額の損害賠償訴訟が起こされた事を述べ、川内原発廃炉を強く訴えました。

 7番目はジェンダー研究であまりに有名な社会学上野千鶴子氏。言わずと知れた70年闘争の闘士で、あの頃は大学の教授らと学生が対立していたけれど、「政治的シニシズム(社会の風潮・事象などを冷笑・無視する態度)」もあって、ずっとしらけて来たが、それが40年経て解消しつつあり、シールズなどの新しい動きで、自分たちが戦後70年間守って来たものを、彼らが受け継いで守って欲しいと訴えました。写真左。

 8番目はシールズの今やチョウ有名になった奥田愛基氏。上野氏が自分の言いたい事を全て言ってくれましたと、聴衆を笑わせましたが、連日の国会デモと緊張と、終電に間に合わず野宿?した事など述べていました。でもそれが解消された朝は、さながら元旦の日の出を見ているようだと語っていました。さすが疲れていて、いつものトーンまで戻りませんでしたが、すぐ元気を回復するでしょう。写真右。
 9番目は沖縄一坪反戦地主会の木村辰彦氏。辺野古での座り込みや海上での保安庁との戦いなどを通し、島全体が超党派的に一致・一体となった事で、翁長知事も強められ、国連での訴えにも及んだと述べました。

 10番目は韓国のカトリックで福島訪問ツアーをしているキム・ジュナ氏。通訳が付いて、釜山での原発反対運動を行い、日本の為に1千万の署名を集めた事を報告、集会主催者側の鎌田慧氏が受け取りました。大きな拍手が起こりました。これからもっと日本語を勉強し、互いに連帯して反原発運動をやりましょうと、太い声で語りました。写真右。
 11番目はフランスの映画監督で日本語の達者なカトリーヌ・ガドゥ氏。原発に代わる再生エネルギーをもっと日仏でと訴え、原発は嘘つきの企業、死に至る企業だときっぱり。

 12番目は言わずと知れた主催者側の一人大江健三郎氏。文学者らしく「さようなら」は美しい日本語だと述べ、自分は80歳もう先がないけれど、シールズなどの文体は全く新しい日本語、どうかそれを存続・持続させて欲しいと、聖書で後から来たイエスに道を譲ったバプテスマのヨハネの如く、その事を淡々と繰り返していました。

 13番目も主催者側の鎌田慧氏。写真右。大江氏のすぐ後だったので、氏の「侮辱を受けた」という発言を引いて、我々は侮辱の時代を受けてきたけれど、もう一度憲法を我々の手に戻す運動こそ大切、それを町の人々にデモで声を挙げて訴えましょうとアピールしました。本日は主催者側で2万5千人の参加。これを来年の9月再びこの公園で、10万人をもっともっと超える集会をやりましょうと述べ、この集会は終わりました。
 デモの準備中に、ジャーナリストの津田大介氏と奥田氏、シアターブルック佐藤タイジ氏(本日の音楽リード)の3人が軽妙なトーク。そして原宿・渋谷コースに分かれ、私は渋谷コースでデモ行進に加わりました。

 初めての拡声器、ボリュームはこの程度で伝わると分かりましたが、後から来る太鼓を伴った一隊のボリュームある女性の拡声器の声に圧倒され、少し先を行く拡声器のない人々の中に入り、思い切って再稼動反対など短いフレーズで叫んでみたら、皆さん唱和してくれたので、途端にあがってしまい、次の言葉が出て来ません。長ったらしいと駄目だし、もっと短い効果的なフレーズを多く頭に叩き込んでおかないといけないと、自分を恥じました(泣)
 私のメモは不正確かも知れません。もしかしたらSPYBOYさんとかmm3493さんが参加しておられたら、訂正して下さい。またスペースの都合で全ての語り手の写真を掲載する事が出来ませんでした。お許しのほどを。