ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

三菱重工「理科授業」に胡散臭さを感じた

 「国に生まれた者でも、在留異国人でも、故意に罪を犯す者は、【主】を冒涜する者であって、その者は民の間から断たれなければならない」(民数15:30)
 2015年9月11日、東日本大震災から4年半経過した日の東京新聞14面の広告欄一面に、三菱重工の広告が載りました。上半分は東京新聞の福島支援の一環として、仮設住宅の子どもたちに夏休みの勉強を教える「学習支援ボランティア」の内容紹介があり、参加した8人の学生たちの声が掲載されていました。
 ところがこの記事のうちに上記三菱重工の「理科授業」の事もあり、記事の下半分にその内容の一部が画像つきで記されていました。この理科授業の理念としては、「被災地の子どもたちにも大きな夢や希望をたくさん抱いて欲しいという願い」という記述で示されています。

 私が引っかかったのは「三菱重工」の大々的な広告という事です。それには近頃文科省が打ち出した国立大学の「文系改廃」(東京新聞同日の記事)も、深いところで関与しているのではないかと私には思えました。
 その三菱重工ですが、ホームページを見ても分かるように(https://www.mhi.co.jp/products/detail/pwr_power_plant_order_recieved.html)、川内原発1,2号機をはじめ、全国で原発24基を納入している原発推進企業です。ちなみに福島第一、第二原発東芝と日立が建造しました。
 そして国外輸出戦略も活発で、既にベトナム、トルコなどで受注に成功しています。
 さらに三菱重工は武器輸出にも積極的で、早くから武器関連の部品を輸出していたと思われますが、「武器輸出三原則」廃止(2014年7月)以後、その部品が組み込まれた地対空ミサイルが、米国からカタールに輸出される予定になっています。
 そうした「きな臭い」臭いのする三菱重工が、福島第一原発事故以来4年半経過したのに、何一つ収束していない悲惨な現状を無視する形で、その本拠福島の応急仮説住宅で、子どもたちの為に理科授業を行いました。
 上記広告右下で、「グループ戦略推進室広報部CSRグループ」というものに所属する渡辺辰徳氏と、下引地剛紀氏は、「もし当社グループの理科授業がきっかけとなり、子どもたちが将来、科学技術やものづくりに携わるフィールドで活躍してくれればこれほど嬉しいことはありません」とコメントしています。
 その子どもたちは浪江町から福島市に避難しているおよそ10人の小学生男女でした。それで彼らが作ったのは、水陸両用の乗り物「ホバークラフト」というものでした。彼らは工作を楽しんだかもしれません。
 しかし彼らの出身は帰還困難区域に指定されている浪江町です。多くの避難者が今なお仮設等で苦難の生活を送っています。
 そうした災害を4年半経過した今、直接の当事者でなかった三菱は、もう忘れようとしているのでしょうか?私が題で「胡散臭さ」と書いたのも、その狙いが、先に三菱製の川内原発が再稼動を開始して日本中の非難を浴びているにもかかわらず、そんな事をおくびにも出さず、理科教育を推進し子どもたちが大きくなって、原発や武器関係の技術者になって欲しいという事だと感じたからです。
 おりしも安倍首相の意向を受けた?文部科学省が、全国の国立大学に対して人文社会科学や教員養成の学部、法科大学院などの縮小や廃止を求める通知を出しました(6月9日)。
 文系学問の持つ批判精神や倫理観などがなおざりにされようとしています。
 上記渡辺、下引地両氏に欠けているのは、学問とは何か、所属する企業の戦略は自己や社会とどう関わっているか、福島事故に対する自己責任、自己否定の精神はどうなのか、といった70年闘争の頃出されていた人間存在の根源的思考ではないでしょうか?
 文科省はそういう人間を育てず、ただ成長の為の理系人間を育成する意図を表明したようなものです。それには絶対抗う必要があります。
 創造のはじめ、人間は豊かな感性と理科的素養を持って創られました。しかし人間は堕落して、神の属性である聖さを失いました。その罪→悔い改め→神との交わりの復興→再堕落というサイクルを、日本も世界も連綿と繰り返し、今日に至っています。「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた」(創世6:11)というのが、日本や世界の現状ではないでしょか?