ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

小出裕章「最後の講演」(川野眞治・小出裕章・今中哲二著)を読んで

 「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい』(ローマ12:2)。

 既にご存知の京大「熊取六人衆」メンバーのうち、3人の学者が執筆した上記書物を読みました。これは特に反原発で私たちに原子力の事を啓蒙して来た小出助教が、今年3月末で退職する直前に行った「第111回原子力安全問題ゼミ」が主体となっています。
 「はじめに」を書いた今中助教だけが、現在京大に残っています。ウイキペディアによると、今中氏は東工大大学院時代に、原子力開発の胡散臭さを感じ取って、「原子力をやめることに役に立つ研究」をしようと決心したそうです。福島原発事故以来、飯館村などで精力的に被害調査を行っています。
 川野氏は京大大学院で「無機材料固体化学」を勉強していて、原子力が専門ではなかったのですが、たまたま京大原子炉実験所の公募で受かって入った人です。大学時代は小出氏と同じく「原子力の平和利用に夢を抱いて」いましたが、実験所に入った1969年頃の大学闘争から「何のための研究活動か」という問題意識を持ち始め、伊方原発訴訟に関わるようになってから、人生が大きく変わったと言っています。
 この本でも伊方原発を振り返り、簡潔にまとめています。住民側の学者と、いわゆる御用学者との間での「科学論争」では、一方的に勝利したのですが、その時の松山地裁裁判長は更迭、高裁・最高裁とも「控訴棄却」になりました。原発推進派は「炉心損傷、溶融は絶対ない」と自己過信していたのですが、その中で福島第一原発事故が生じてしまいました。
 そしてメインの小出氏の講演ですが、私は氏の本をほとんど読んで勉強しました。勿論学者ではないし、アマチュアの域を出ないディレッタントですが、昔はそう烙印を押されて沈黙してしまう人は多かったでしょう。でも今は違います。3・11は素人の私たちの発言を封じる事を許しません。上記学者たちは言っていますが、一人ひとりが事故の当事者であり、よく勉強して自分で事を判断するのが必須となりました。なぜなら原発事故による放射能は濃淡はあるにせよ、日本中を席捲し、福島やその周辺ばかりでなく、遠いところに住む私たちも、将来放射能による健康障害を発生させる確率が高くなるからです。
 小出氏の発言の中から注目すべき点を抜き出してみると、以下の通り。
福島第一原発の敷地は放射能の沼の状態。どんな作業をしても被曝で、ゆっくりきちっとした作業が出来ない。応急的な作業しか出来ないから、汚染水問題等々、作業員は被曝の覚悟で、今後何十年も続けなければならない。
京大原子炉実験所放射線管理区域で、1平方メートルあたり4万ベクレルを超える汚染物質は外に持ち出せない。勿論人間も出られない。しかし日本政府の発表では、福島の東半分、宮城・茨城、栃木・群馬のほとんど北半分、千葉北部、岩手南部、新潟の一部、埼玉・東京の一部は、全て放射線管理区域にしなければならないほど汚染された。ちなみに福島中通りで1平方メートルあたり6〜30万ベクレルもセシウムが降り積もった。東京の一部も1平方メートルあたり3〜6万ベクレル。
3本来は再稼動を考えている福島第二原発敷地を中間処分場にするべきである。
4政府・東電の首脳、御用学者、マスコミの一部は皆刑務所に入れて、徹底的に処罰すべきである。しかし彼らは責任を取らず逃れて、福島隠しをし、報道もしなくなっている(*五輪が前面に出ている)。それに加担した私たちにも責任があるが、せめて子どもたちだけは守る必要がある。
原子力規制委員会の田中委員長は川内原発について、「基準に適合したということは認めたけれども、安全だとは申し上げられない」(原子力規制委員会の新規制基準は、「絶対的な安全性が確保できるわけではありません」と言っている。しかし安倍首相は「安全性が確認された」と馬鹿げたすり替えをしている(*http://www.fukuyama.gr.jp/diet/2014/10/07/12033/によると、安倍首相は国会で「原子力発電所の安全性については、原子力規制委員会により世界で最も厳しい水準の規制基準に適合しているかどうかの審査を行っており、九州電力川内原子力発電所については九月十日に新規制基準への適合性が確認され、再稼働に求められる安全性が確保されることが確認されました」と答弁している。これは典型的な東大話法(=明らかに間違った主張や学説をあたかも正しいものであるかのようにして、その主張を通すやり方である)。
 小出氏はどんなにこちら側が劣勢であろうと、子どもだけは守らなければならないと、再三主張していました。反原発を唱える大人の絶対的な義務です。