ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

松戸・東北交流サロン「黄色いハンカチ」チャリティー歌声喫茶に参加して

 「歌う者が先に立ち、楽人があとになり、その間にタンバリンを鳴らしておとめらが行く」(詩68:25)。
 2015年12月3日上記のイベントで歌を聴くために、松戸伊勢丹前のサロンに行きました。

 このサロンでは毎月歌の日があって、こちらに避難しておられる方々と、私のような市民が共に集って、同じボランティアのMさんのご指導の下、懐かしい曲などを歌い、一時の楽しさを味わっています。
 なぜ一時かと言いますと、来年の3月で県外の自主避難者に対する仮設住宅や借り上げ住宅の無償提供を打ち切るという非情な措置を、政府と県は決定したからです。ではそうした対象の人々が故郷に帰れる条件が整ったのかと言えば、トンデモない事。今福島の各地で除染作業が行われていますが、私の実体験でもそれは不可能です。
 年間20ミリシーベルトと言えば、元京大助教小出裕章氏の言葉が、いち早く子どもに対するその危険性を指摘していました。以下その解説要約(https://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/07/videonews-may7/)。
 「政府の原子力災害対策本部は4月19日、福島県内の学校や校庭利用の際の年間被曝線量の上限を20ミリシーベルトに定めたことが問題となっている。もともと20ミリシーベルトは、原子力の施設で働く作業員を対象とする年間被曝量の上限値だったが、これを子供に適用する決定については、依然として多くの抗議や反対が表明されているほか、この決定をめぐり、小佐古敏荘内閣官房参与が辞意を表明したり、原子力安全委員会が正式な委員会を開かずにこの基準を決定していることが明らかになるなど、決定の過程にも多くの疑問が生じている。京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、もともと一般の日本人の年間の被爆上限は元々1ミリシーベルトまでと定められているにもかかわらず、ぞれを現状に合わせるかのように20ミリシーベルトまで場当たり的に引き上げ、しかも子供にまでそれを適用するというのは到底許せないと述べる。小出氏によると、子どもの放射線への感受性は大人よりも5倍高いため、年間20ミリシーベルト放射線というのは、これをを浴びた子どもの25人に1人が癌にかかる可能性がある、あり得ないような数値だと小出氏は言う」 (2011年5月7日)。
 南相馬市からこの松戸に避難しておられる方の話を伺っても、その西部に存在する特定避難勧奨地点(年間20ミリシーベルト超)を、国は線量が下回り安全だと認定し、避難解除・支援を打ち切りを決めた為、この暴挙に対して住民が解除取り消しを求める集団訴訟を起こしたのは当然の事です。
 ですから松戸とその近郊に避難している他の福島地域の方々も、皆不安な日々を過ごしています。大人でも年間20ミリシーベルトと聞けば、逡巡してしまうでしょう。いやその20分の1だって危ないデータが最近多く出ています。
 そうした中でのこの歌声喫茶でしたが、最初に登場したのは、私の聞き間違いでなければ「アミーゴ=友達」というハーモニカの演奏団体でした。

 ハーモニカは、昔私もやったような簡単な複音ハーモニカだけでなく、写真一番右の方が吹いている通常より二倍は長いものも披露されました。「瀬戸の花嫁」をはじめ、「涙君さよなら」など全7曲ほど。最後に「ふるさと」を演奏と、集った方々の合唱で閉じました。
 またこの特別プログラムを企画されたHさんが、ドイツ語によるベートーベンの第九「歓喜の歌」を歌いました。
 これで休憩となり、あとは集われた方々のリクエストの曲を皆で歌いました。クリスマスの月にふさわしく「きよしこの夜」も飛び出しました。
 それにしても昔の「浜辺の歌」、「夏は来ぬ」、「赤とんぼ」など人口に膾炙した曲が多く、改めて感動しつつ耳を傾けました。
 でも福島や岩手などから避難してきておられる方々が、心から「歓喜の歌」を歌えるのは、一体いつの事になるのでしょうか?
 ふるさと帰還がますます困難になる中、この松戸・東北交流プロジェクトでは、毎月原発補償など法律相談の日も設けています。一人で悩まず、是非047−710−5519まで、気軽にお電話してみて下さい。
 私はまもなくいわき市に引っ越しますが、サポーター会員として、支部を作り支援のために尽くしたいと、ささやかな夢を抱いています。