ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『被災弱者』「(岡田広行著)

 「主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、 彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる(詩113:8−9)。

 図書館で上記の題の本を借りて読みました。福島原発事故から5年になろうとしており、私の関心は専ら福島の被災者の事にあったわけですが、目を転じて岩手、宮城などの津波被害の大きかった地域を見ますと、特に宮城県の沿岸地方の被害の大きさを、この本はつぶさに教えてくれます。
 特に私は宮城県において「被災弱者」と呼ばれる人々の存在を全く知りませんでした。
 この「被災弱者」が生まれて来るのは、本書に登場する石巻市立病院の長純一医師によると、仮設住宅に住んでいた「被災者の復興公営住宅(災害公営住宅)への転居が進む中で、仮設住宅で形成されたコミュニティが白紙に戻るとともに、社会的弱者が集中する。復興公営住宅に入居した段階で被災者とみなされなくなるため、行政からの支援も大幅に減少していく」からです。
 仮設だけでなく、今回の東日本大震災では「みなし仮設住宅」も多く作られました。これは民間の賃貸住宅を国などが借り上げて、応急仮設住宅として提供するもので、仮設同様家賃など無料です。自力で便利な場所を探せる利点がありますが、やむを得ず劣悪なアパートに入っている人も多くいて、仮設住宅に比べると、場所などがなかなか特定出来ず、支援に「雲泥の差」が出て来るそうです。支援が遅れるので、やはり自力で必要なものをそろえなければなりません。その為の資金に余裕の出た人々は、もうみなし仮設を出て自宅を再建したりしています。しかしそうでない着の身着のままで避難した人々に貧困化が現れ、原則2年間の期限の延長を望んでいます。しかし行政は打ち切りたいと思っています。
 さらにこの本では「在宅被災者」も登場します。被災した時避難所に入れず(又は入らず)、津波被害を受けた自宅の2階などに住んでいます。彼らこそ最も過酷な情況に置かれました。即ち食料や支援物質、義捐金も支給されませんでした。この人々も自宅で必須のものなどは取り出せず、幾日もパンを口にすることが出来ませんでした。それで見かねた「チーム王冠」などのボランティアが動いて、彼らを救い出したと言えます。チーム王冠は行政に働きかけ、義捐金、生活再建支援金住宅応急修理金などを拠出させたのです。
 しかし非情な行政は、義捐金受け取りで生活保護を打ち切ったり、家屋の損壊が一部、半壊、大規模半壊、全壊などにより、支援金などに大きな差を生じさせました。また住宅応急修理金(1世帯あたり54万7千円まで)を受け取った人は仮設住宅に入る事が出来ず、従って災害公営住宅への道は閉ざされています。
 また災害公営住宅入居対象者でも、募集に対して応募者が多ければ選考になりますし、家賃も発生します。この家賃が被災弱者にとって最大のハードルです。低く抑えられていると言っても、全てを失った仮設の方々には深刻な問題です。
 私が移住したいわき市では、その家賃について市独自の減免措置を講じているので、その仕組みを(http://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1001000001109/index.html)から参照してみると、苦心がよく分かります。
 振り返ってみますと私の家も一部損壊で、大規模修繕が出来ません(道路事情もありますが)。障子戸がゆがみ、天井・床の一部が開いたままで、家にいるほうが猛烈に寒いです。何が違うのかと言いますと、全能の神がいつも傍に居て、様々な試練に耐えさせて下さるからです。通っている福島第一聖書バプテスト教会原発から5キロの大熊町に今も建物は存在)は初期情報が欠如した中、着の身着のまま避難所に逃れ、二度と帰れぬ中、集団で流浪の旅に出ました(厳寒の中会津、米沢、奥多摩、と移動し、現在いわき市泉に新会堂を建設)。想像を絶する困難さがありましたが、よく耐えて一般の被災者とは違う証をしています(http://f1church.com/)。
 被災弱者が是非この主を知って、弱者であっても強くされたらと願っています。