ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

いわきに引っ越して来てから2ヶ月目

 「まことに【主】は、ユダの人とエルサレムとに、こう仰せられる。『耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな』」(エレミヤ4:3)。
 *耕地やいばらは霊的な事柄を表していますが、ここでは実際の話です。
 2016年1月11日に勿来町に引っ越して来てから、3月11日で2ヶ月となります。東日本大震災から5年目の日です。
 持ち主は大震災より少し前高齢で独りだったので、施設に入りましたが、その後の家の一部損壊で気落ちしたのか、間もなく亡くなりました。

 それで約4年10ヶ月土地も家も放棄されたままでした。現状引渡しという事で了解して買ったのですが、左の写真から分かるように、雑草は伸び放題、特にたちの悪い葦が2メートル位になっていました。
 ですからこの2ヶ月近く雑草との戦いが続きましたが、やっと終わりに近づきました。写真右。

 しかし家の裏の石油の釜がある所と隣地塀の間にあった葦は、根が絡まり硬くなっていて、シャベルで根より深く掘り、やっと除去しました。そこも陽は当たるので、耕地として利用しようと思ったら、遺跡となっている緩やかな斜面の下に近く、すぐ粘土層になっていました。そこで刈った葦や腐った葉っぱを土の下に、伸びすぎて切り倒した木々を鉈やのこぎりで小さくし、塀の間際に埋めるなどの工夫をしてみました。

 そこを耕地にするには、まだまだ腐葉土が必要なようですが、そんな事は言っていられません。
 次は表側西に積んであった木々の切り倒したものを全て除去しないと、風が強い土地なので、乾燥した日に火がつかないとは限らず、必死になって2〜3箇所に集め、長さ60センチ位にして燃えるゴミの日に大半を出す事にしました。

 ここも奥の塀際に笹竹が生えていますが、たいした事はないので、全て根から抜いてしまうつもりです。そうするとそこもまた耕地になります。待つなどの木を植える余裕はありません。かつては立派な木があったのでしょうが。
 勿論家の中の一部損壊箇所は応急手当のようなもので、これから本格的に修繕しなければなりません。あいにく一番寒い時で、畳が落ち込み、障子戸は隙間だらけ、障子はハクビシンにやられて穴だらけですから、6畳間にいて石油ストーブをつけてもまだ寒く、夜はもう早く床に入り、電気毛布で暖まっていたい程です。昼間どんなに寒くても、外で動きまわっているほうがよほどマシな位です。
 というわけで、かつて無かった寒さを凌いでいますが、夜パソコンに向かう気力がありません。もうしばらく庭の整備をしないといけないので、ブログ更新が滞っていますし、仲間の皆様のを閲覧する時間も無くなっています。昨年5〜7月除染の作業で痛めた肝臓ですが、総胆汁酸の値が正常値の10倍になりました。あまり無理はしたくないので、ご理解下さい。
 本来は海に近い温暖な地と言われる浜通りですが、本格的な春が来ない事には話になりません。
 そんな仕事をしている時、回って来た回覧板には、勿来地区で初めて除染を始めるという事が書かれていました。とすると私がやっていた仕事の大半は、毎時0.23マイクロシーベルト以上ある中で行っていたわけです。私はもうすぐ70歳になるのであまり関係ありませんが、若い夫婦だったら多少心配です。西側一つ上の家に住むご家族はまだ中学生と思われる女子がいます。
 いわき市小名浜や勿来ばかりでなく、南の茨城県北茨城市磯原なども、あの大津波でひどい被害を受けています。しかし一部損壊の私の家以上なのに、原則補償金はありません。5年目になろうというのに、まだまだ震災の爪痕は残り、海岸の防波堤の嵩上げばかり目立つこの頃です。