ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『チェルノブイリの祈り』を読んで

 「この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ」(黙示8:11)。
 *これは黙示録において将来起こる裁きの一つです。アプシンソスという名前がロシア語でチェルノブイリと呼ばれます。
 昨年ノーブル文学賞を受けたスベトラーナ・アレクシェービッチの代表作の一つ『チェルノブイリの祈り』を図書館で借りて読む事が出来ました。ラッキーでした。岩波現代文庫から2011年に出版されています。
画像はいつも閲覧している小野俊一医師のサイトから借用しました。小野医師も彼女の事を書いています(http://onodekita.sblo.jp/article/170030878.html)。
 1986年4月当時のソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機が炉心溶融を起こして爆発、その放射性物質は世界各地に撒き散らされ、その後の福島第一原発と同じレベル7の大事故となりました。
 あいにくソ連という共産主義国(1991年に崩壊)の対応が極めて悪く、事実はヴェールに包まれる結果となりました。
 そこでウクライナ生まれのアレクシェービッチが、丹念に事故の被害者及びその家族へのインタビューを重ね、出来上がったのがこの本です。「祈り」とありますが、登場人物は必ずしもロシア正教会の信徒だけではありません。
 とにかくその内容に圧倒されます。これは放射能事故による悲惨な目に見える形での被害が克明に描写されており、現在の福島第一原発事故の被害とは対照的です(福島ではいまだ被災者と原発との関係が確立していません)。
 最初に出て来る原子力発電所にかけつけた消防士故ワシーリイ・イグナチェンコ氏の妻リュドミーラさんによる献身的な愛と看病の話に射すくまれてしまいました。入院した夫。顔見知りの女医にどうしても会いたいと懇願する彼女。「全身がむくみ、腫れあがっていた。目はほとんどなかった」。直ぐに思い出したのが、東海村のJCO臨界事故で亡くなった大内さんの事でした。しかも夫に会わせた医者も看護婦もあとでほとんど亡くなったという事実。広島原爆で現地入りした兵士たちのその後と同じです。医者たちは「これはガス中毒だとくりかえすばかり」。福島原発事故放射能のことは何一つ知らされず、避難所に追いやられた被災者たちもそうでした。その後夫はモスクワまで飛行機で運ばれます。妻も妊娠しているのに、モスクワの病院まで行きました。骨髄が全て侵され抱擁もキスも駄目と言う放射線科医師。次から次へ死んで行く消防士の仲間たち。しかし夫への献身的な看病を諦めないリュドミーラさん。「あなたの前にいるのはご主人でも愛する人でもありません。高濃度に汚染された放射性物体なんですよ。あなた、自殺志願者じゃないんでしょ!冷静におなりなさい!」と冷たく言い放つ病院関係者。「ご主人は人間じゃないの。原子炉なのよ。いっしょに死んじゃうわよ」。それでも「愛しているわ。愛しているわ」と繰り返し、夫の手を握る彼女の愛から引き離す権威者はもはやいませんでした。ちなみに夫の被ばく量は1600レントゲン(*1レントゲン≒1レム=0.01シーベルト。致死量400レントゲンは約4シーベルト。その4倍の1600レントゲンは16シーベルト)。そして用事で3時間だけ夫から離れた間の夫の死。リュドミーラさんの宿舎中に響き渡る「どうしてなの。なぜなの」という悲痛な叫び。我に返っての悲惨な体の夫との対面。納棺。生まれた赤ちゃんの4時間後の死。そして戻った自宅付近に住む原発の職員の多くがあっけなく死んでゆきます。この1〜28ページに原発事故の悲劇が凝縮されていると思いました。
 その後アレクシェービッチ氏の自問が続きます。その最後部「最初はチェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだと分かると、くちを閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることはむずかしい…」。誰も除染で毎時1マイクロシーベルト以下にするという事が難しい、除染は無意味な試みだと分かると、福島の人々いや日本中の人々が口を閉ざし、まっしぐらに五輪に向けて復興、復興と唱えているような感じがします。
 「ぼくは証言したいんです。ぼくの娘が死んだのは、チェルノブイリが原因なんだと。ところが、ぼくらに望まれているのは、このことを忘れることなんです」。
 「私らは原発の近くに住んでいた。直線距離で三〇キロ、道路をいけば四〇キロのところだよ。大満足だった。切符を買ってバスで行ったよ。あそこで売ってるものはモスクワ製だからね。ソーセージは安いし、いつもお店に肉があった。品数がそろってた。ほんとうにいいい時代だったよ。いまじゃ恐怖だけ」。福島原発周辺の市町村もかつてはそうでした。今諦念?
 「学者も技師も軍人もだれひとりとして自分の罪を認めようとしません。『私には悔い改めることなどなにもない。なぜ私が悔い改めなくてはならないのかね?』」。先日福島民報では号外で東電の元会長勝俣恒久被告(75)、元副社長の武黒一郎被告(69)、元副社長の武藤栄被告(65)が刑事裁判にて起訴された事を報じていましたが、皆無罪を主張しています。そうであっても神が正しく裁かれます。
 「ぼくたち以外には、あそこで何が起きたか、だれもしらないんです。ぼくたちは、ぜんぶを理解しているわけじゃないが、、ぜんぶ見たんです
 「娘は、生まれたとき赤ちゃんではなかった。生きている袋でした。からだの穴という穴がふさがり、開いていたのはわずかに両目だけでした…『女児。多数の複合異常を伴う。肛門無形成、膣無京成、左腎無形成』…娘は死ななかった…四年後に初めて、娘の恐ろしい異常と低レベルの放射線の関係を裏づける診断書を発行してくれました」。福島ではいまだ現地の医師の多くが甲状腺の異常と低レベルの放射線の関係を認めていません。
 「汚染地泥棒が入りこんで、ドアがぶち破られ、窓や換気窓が割られた…なにもかもきれいさっぱり盗まれてしまった…命拾いしたイヌたちが家に住みついた」。福島の原発中心地も同じです。
 「子どもたちが死を恐れるはずがない。死を恐れているのはおとなたち、たとえば、この私です。死は、なにかファンタスティックなものとして、彼らをわくわくさせるのです…彼らの目の前では、いつもなにかしら、だれかしら葬られています…この子たちは整列していると、気を失ってたおれ、十分か二十分も立っていると、鼻血を出す。なにがあっても、驚きも喜びもしない…」。福島でも鼻血問題はありましたが、放射線との因果関係は否定されています。
 「最初のうちは食料品を放射線測定員のところに持参して測ってもらい、基準値の数十倍もありましたが、そのうちにみんなは持っていかなくなりました。『においもしないし、見えもしない、学者たちのでっちあげだよ』。すべてこれまでと同じです。畑を耕し、種をまき、収穫する。信じられないことがおきたのに、住民はたんたんとくらしている。畑でとれたキュウリをすてることのほうが、チェルノブイリよりも大問題なんです」。目にみえず、原発との明らかな因果関係が分からないけれど、こういう生活を日本当局は望んで、帰還させようとするのでしょう。政府筋はこうしたくだりから教訓を得ているのでは?と勘ぐりたくなります。

 「最初は『大惨事』だとだれもがいい、それから『核戦争』だといった。ぼくはヒロシマナガサキについて読んだことがあり、記録映画をみたことがあるんです。恐ろしかったが、核戦争、爆発圏がわかった。想像することだってできた。けれども、ぼくたちの身に起きたことは理解できないでいる。ぼくたちは死んでいく。なにかまったく未知なものが以前の世界をすっかり破壊し、人間に忍びこみつつある、入りこみつつあるのが感じられる…」。このチェルノブイリへの想像力の欠如が原発の再稼動を推進させているのでしょう。
 「崩壊した原子炉の屋根を通りすぎた兵士は三六〇〇人です。この若者たち。彼らもまた現在死んでいますが、自分たちがこの作業をしなかったらどうなっていたか、彼らは理解しています」。原発の故吉田所長をはじめ、多くの東電関係者は確かに良くやったと思います。彼らの技術力は高かったです。だから東日本全体が避難する大惨事にはならなかったのでしょう。
 「説明のつかない死が多かった。突然死です…医者はなにひとつ説明できなかった」。今日本でも事故後の福島に行った人々の中で、そうした死を迎えた人がいます。
 「欠陥だらけの安っぽい原子力発電所を建てた。金をけちり、人の命など眼中になかった」。東電は15メートルの津波を2008年に試算していました。しかし金をけちって5・7メートルの高さの対策で止めました。でも3・11で予測通りの結果となりました。金を人命より優先したという事でしょうか。罪は重いです。
 この本実にこなれた訳で読みやすかったです。全てのページと言ってよいほど、付箋をつけました。紹介したのはその一部ですが、是非皆様読んでみて下さい。放射能の恐ろしさ、夫婦愛のすばらしさなど、あらゆる事を教えてくれました。まさにノーベル賞にふさわしい作品でした。