自宅の山菜の自生と福島での出荷制限
「また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった」(マルコ4:8)
2016年1月11日に福島県いわき市勿来町に引っ越してから3ヶ月が経過しました。
その間ずっと空家だったところの敷地の雑草の刈り取りなどで四苦八苦しました。しかしそれを終えて4月、やっと少し温度も上がり、庭の様子も変わりました。と言っても花冷えの日もあり、順調な春とは言えません。
4月11日に勿来の関の桜(七分咲き)を見学に行こうと思ったら、突然の激しい雨風と、急激な温度の落ち込みで諦めたほどです。
そうした中、地中に隠れていた山菜が突然出現しました。玄関に通じる舗装路の両側の土の中から土筆が、いつの間にかにょきにょきと出て来たのです。早速ネットで調べ、てんぷらにして食べてみました。しかし味わいは淡白だったので、再度佃煮に挑戦しました。とても美味しかったです。
次は北隣Sさんから根ごと頂いたタラノキを自宅に植え替え、懸命に水をやって先端から出て来たタラノ芽です。これは定番の調理がてんぷらです。それで早速キスや掻き揚げと共に、てんぷらにして食べてみました。結果はタラの芽が一番美味しかったのです。タラノキは隣家の裏の小山が北斜面から急に川へと落ち込む所に群生していました。勿論Sさんと共に脚立を用いて採りました。タラの木には鋭いとげが一杯あるので、皮手袋をはめて採らないと怪我をします。
三番目はフキです。それも庭の手入れをした後、気温が上がった時点からどんどん出て来ました。この南西の一角は5年近く放置されていて、伸び過ぎた木々を切り倒したものや雑草がうず高く積まれていました。従ってそれらを除去した結果出現したのです。
フキは葉の部分や茎を食べるわけですが、茎は地下茎で長く伸びたら収穫しようと思っています。しかし待ちきれず葉の部分をよく洗い、細かく刻んでゴマと一緒に和えました。これも美味でした。
最後はワラビです。これは我が家には見つからず、西側同じ班の人の家の脇を通り、里山に踏み込んだ所に密生していました。茎の硬い部分を手で切って残りを集めて来ました。ネットで調べると、入念な灰汁抜きが必要なので、熱湯に重曹を溶かし込んだものを少し冷まし、そこに芽の部分と茎の10センチ位やや硬い部分を切って一晩浸す事にしました。それもてんぷらにして食べてみるつもりです。
それらは出来合いのものをスーパーで買って食べるのが普通でしょう。自生のものを発見したのは、今回が初めてです。Sさんは広野町で除染関係の重機を運転していますが、山菜の知識も豊富、地元の人なので、タラノキがどこにあるかも知悉しています。基本的にSさんから大部分の知識を得ました。恥ずかしながら、ワラビとゼンマイの違いも知らなかったので、ネットでも調べたのは勿論の事です。我が家の北側では、これから茗荷も食べきれないほど多く出て来るそうで、楽しみにしています。何せ市販の茗荷は値段が高いので。
こうしてみると、勿来のミニ里山は自然が豊富で、かつて居た事のある茨城の鉾田よりずっと優れています。福島全体の里山でも、植生と食文化は豊かで、原発事故がなかったら他の地域への出荷も相当多かったのでしょう。
その原発事故から5年経過しました。3月20日の福島民報一面の見出しは「栽培ワラビ出荷拡大 県、セシウム抑制法確立 今春福島で解除へ」というものでした。
記事を見ますと、「ワラビを含む栽培物の山菜の出荷制限が解除されるには、検体の放射性セシウム濃度が検査で三回続けて食品衛生法の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を下回る必要がある」と書かれていました。基準値そのものが妥当なのかどうか分かりませんが、原発事故以前より100倍多いと見る研究者もいます。
ワラビやタラノ芽は、今でもいわきでは出荷出来ません。見出しにある栽培ワラビの出荷制限が解除されたのは、昨年の喜多方市だけです。この春二番目に解除されるのは福島市です。他の山菜は市町村によって異なります。まして野生のキノコについてはデータも揃わず、いつ解除になるのか見通しも立っていません。
私は山菜についての厳しい現実を新聞を通して初めて知りました。古希が近づいているので全く意に介しませんが、勿来町はこれから初めて除染作業が始まります。その効果は自分の経験からしても、ほとんど期待出来ないと見ています。
それで若い夫婦で子どものある人々なら、この多彩な山菜を不安なく享受する事は難しいでしょう。
風評被害、実害を含め、福島第一原発の与えたダメージは5年を経過してもまだ回復せず、明るい見通しが立っていません。
いわき市はあと半年で市制施行50周年を迎えます。一見活況を呈し、新しい食品も次々と開発されています。
けれども「笛吹けども踊らず」(マタイ11:17)は、首都圏の団塊の世代以上の人々に適用出来るでしょう。笛を吹きたくても吹けない企業や人々が多くいます。そこへの何らかの支援を持続させてゆかないと、福島はやがて死ぬかもしれません。