ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

震災遺構ー4・11塩ノ平正断層見学

 「あなたがたは彼らに言わなければならない。『ヨルダン川の水は、【主】の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」(ヨシュア4:7)。
 東日本大震災から5年経過し、震災の惨状があらわになった地区の家々、道路、田畑などが、復興の為に次々と消えてゆく中、それを記念の為、或いは教訓の為、震災遺構として残しておこうという動きが活発です。
 2016年4月1日の福島民報では、いわき市文化財保護審議会天然記念物として井戸沢断層(塩ノ平断層=しおのひらだんそう)の指定を答申した事を伝えていました。
 いわき市勿来町から車で20分余行くと、田人町旅人(たびとまちたびうと)という珍しい名前の町の地区があり、そこに井戸沢という地名があります。さらに県道134号を北上すると、田人町黒田という地区に入り、そこに塩ノ平という地名の場所があります。大きな地図を見ますと、そこに南北に二本平行して走る断層があり、広く井戸沢断層と呼ばれて来ました(http://homepage3.nifty.com/kunihiko/earth/fault/idosawa/idosawa.htm参照)。しかし3・11東北地方太平洋沖地震からちょうど1ヶ月後の4月11日にいわき市では強い地震があり、この二つのうち西側塩ノ平あたりから黒田地区南端の大久保にかけて新しい断層が露出しました。これはさらに南部の勿来町白米(しろよね)にも続いていると言われ、私の住む勿来町四沢古身からすぐ近くです。周辺の人々に訊いても、当時の事を良く覚えていて、3・11以上に恐怖を覚えたそうです。
 東京圏の人々はこの事実をあまり知らないと思いますが、上記サイトによるとこの二つの断層は仕組みが異なるとして、新たに断層が現れた西側のものを塩ノ平断層と呼ぼうという提案がされています。しかし今のところ井戸沢断層(塩ノ平断層)となっています。

 私がネットで見て注目していたのは、この井戸沢断層が日本でも珍しい正断層であり、3・11の地震をもたらした逆断層とは異なるという点でした。
 ここ一ヶ月ほど3・11の時土砂崩れを起こした北隣の家の人の裏側の土砂を、シャベルで土嚢袋に入れて除去していますが、その人Sさんと懇意になり、地元いわき市出身で地理に詳しいので、4月6日午前実際に車で一緒にその震災遺構を見学に行きました。

 134号を北上すると、塩ノ平方面、断層この先2.5キロという標識が見つかりました。それでこの狭くなった林道を目的地まで走らせます。写真右。

 ありました。断層現地!写真左。
 そこに震災遺構として記念の標識があり、イチョウが植樹されていました。写真右下。

 まだこれから正式に整備するのでしょうが、断層散策路と書かれた標識があり、そこを竹や他の樹木が林立する中を歩いて行きました。

 するとありました!落差2メートル以上の断層です。

 断層面の上にあった竹や大木が大きく傾いています。地震の凄さを実感させられました。そして初めて見る正断層。厳密に確認出来るほどの知識はありませんが、兵庫県の山崎断層の横ずれ断層(中国自動車道で確認)や、阪神大震災の野島断層の逆断層(これは関西にいる時見に行けませんでした)と異なるのが、おぼろげながら分かりました。

帰りにUターンして車を走らせると、左手にずっと断層が続いていました。右手の私たちが見て来た断層は、川を破壊し断層池を作っていましたが、ちょうどそこからの延長線上にあるようです。ここまで来る間に4・11当時大きな段差のあった道路や、傾いた中学校のプールは補修や取り壊しで見る事が出来ず、その意味で貴重な震災遺構と言えます。福島民報でも「生きた地学教材として貴重」とありました。
 東北地方太平洋沖地震の影響を受け、いわきという内陸部で起きたちょうど1ヶ月後の地震、併せて銘記しておきたいものです。