ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

防潮壁問題

 「【主】はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら」(詩18:2)。
 いわき市勿来町に引っ越してから4ヶ月になりました。3・11、そして4・11の大地震による家屋の一部損壊、半壊の家屋は極めて多いことが分かりましたが、津波による被害も想像以上でした。
 そこで昨年10月不動産屋に案内されて行った事のある勿来海水浴場まで、4月の22日徒歩で訪れました。10分で土台だけが残っている所に到達し、さらに更地の多い所を歩き、途中で防潮堤脇のコンクリの道を進んで行きました。


 左の写真を見ても分かりますが、津波被害に遭った所は、まだ相当な箇所が荒地のままです。そして右の写真を見ますと、巨大な防潮堤が、古いものの上に嵩上げされ聳え立っています。勿論海など全然見えません。この防潮堤は手前の勿来海水浴場では切れているものの、北の方には長く延びています。写真右下の中央に見えるのが常磐共同火力勿来発電所で、そこまでずっと続いています。

 2月29日佐糠災害公営住宅を訪問した時、すぐ近くの常磐共同火力勿来発電所に行ってみました。勿論3・11の津波被害はありましたが、すぐ復旧出来たそうです。写真左下。

 この巨大な防潮堤の為に、やはり海は見えません。3・11当時は見えたそうです。そして火力発電所のすぐ北東にある岩間町津波で壊滅(https://www.youtube.com/watch?v=wPlIDF4lTa4)した事を、北隣の人から聞きました。私が行った時はまだ復旧工事中で、バイクで進むのは出来なかったように記憶しています。
 海を遮り、自然を損なう膨大なコンクリの塊からなる防潮堤と、その内側に広がる荒涼とした風景を見ますと、図書館で借りて読んだ『ゴーストタウンから死者は出ない 東北復興の経路依存』(小熊英二赤坂憲雄 編著)を彷彿とさせます。
 主として三陸地方を調査して来た小熊氏はこう言っています。「実施された復興政策は、津波をかぶった地域の建築を規制し、巨大な防潮堤建設を進めて、高台に人口を集約しようというもの」。しかしこれでは防潮堤の内側に産業地帯が復興出来るわけはありません。岩間町の復興計画では、私も見た道路の整備と、海岸沿いへ防災緑地を作るというのがメインで、市街地復興は二の次という感じでした。
 北の四ツ倉海水浴場とトップを争う勿来海水浴場の民宿や観光施設など、シーズンではないのかも知れませんが、とても活気に満ちているとは言えません。巨大防潮堤、或いはその背後に建つ同じ規格の災害公営住宅のみ目立ちます。その防潮堤は同じ本の共著者三浦智之氏によると、当初岩手・宮城・福島を繋ぐ全長370キロメートル、総工費8,700億円という膨大な規模の計画だったそうです。
 小熊氏は「災害復興が、公共事業を推進しやすい『抜け穴』になっている」と鋭く指摘していますが、基本的人権の一つである居住権など後回し、とにかく防潮堤や道路の復旧第一という国や券の姿勢には、当然被災者の側からの反論が起こり、海が全く見えない防潮堤など要らないという意見も多く出ています。しかし彼らの住んでいた市町村などは、その反対意見を受け入れて国や県に反対の意向を伝える事が出来ません。
 というのは国や県は人命の尊重を縦に「防潮堤の高さはこれです。要りますか?要りませんか?」と、踏み絵の如く問うて来るばかりで、もし市町村が逆らうと「補助金を削減されるという危惧」があり、復興計画は座礁してしまうからです。これは真に卑劣なやり方としか言いようがありません。小熊氏は「ゴーストタウンから死者は出ない」と痛烈な反論を試みています。
 実際私の住む勿来から植田・泉あたりを歩いていますと、確かに岩間を始め低地に住んで被災した方々は、高台に移住して住居を構えており、小熊氏の言う防潮堤が守るのは、立派な道路だけという構図になっているのがよく分かります。それと直接関係があるかどうか分かりませんが、私の家の背後の里山で、国道6号勿来バイパスを茨城県北茨城市から通す計画が現在実行に移されようとしています。
 被災者の生活再建など、復興費用のたかだか1パーセントに過ぎないという小熊氏の指摘は、正鵠を射ているなと実感しました。国や県は莫大な金を投じてモノを作り、道路や災害公営住宅の建設を押し進める事はしても、人間の生業を復興させ、守るという事は視野にないようです。日本は非情な国です。