ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ダウン症のある人の90パーセントが毎日幸せで仕事も満足 

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している…」(イザヤ43:4)。
 2016年10月13日のヤフーニュースサイトに「ダウン症のある人『幸せに思う』90パーセント以上」という題のニュースがあり、諏訪中央病院・鎌田實名誉院長が動画で説明していました。下図はダウン症の子の第21染色体異常で、通常2本が3本に。

 鎌田氏は東京医科歯科大学全共闘運動に加わり、医師として大学に留まる事はせず、やはり東大全共闘安田講堂防衛隊長だった故今井澄氏と共に、長野県の諏訪中央病院に赴任し、財政的にピンチだった病院を再建し、地域医療のために活躍した人です。代表的な著書『がんばらない』は、がんばるのが好きな日本人にかなりのインパクトを与えたと記憶しています。
 あごひげが特徴的で温かみのある医者です。臨床経験の豊富な鎌田氏でも驚愕したというのが、題にもあるヤフーニュース(http://news.yahoo.co.jp/pickup/6217521)です。厚生労働省の研究班によるアンケート調査の結果でした。それはダウン症という障害を持つ人々を対象としたものです。
 私の妹もダウン症の子を持ち、私自身が関わった事もあるので、だいたいのイメージは掴んでいると思っていました。軽いほうのダウン症でしたが、母はその事実を知って泣きました。でも晩年はその子が訪れて来るのを楽しみにするほど好いていました。自らの意思表明は難しかったですが、成長するに従い、私や妹の言う事は理解出来たようです。でも仕事に就かせるのは、大人になってからでも困難かなと想像していたのです。
 そういうわけで、このアンケートはダウン症の「親」を対象にしたものとばかり思っていました。ところがそれはダウン症を持つ本人へのものでした。そしてその結果には私もびっくりしました。
 調査は多岐にわたったのでしょうが、ニュースでは2つ取り上げられていました。
 1毎日幸せに思うことが多い?回答(12歳以上の852人):はい…71.4%、ほとんどそう…20.4%で、両者合わせて90パーセントを越えました。
 2仕事をしていて、満足な気持ちがありますか?回答:はい…66.0%、ほとんどそう…21.7%で、両者合わせて87.7パーセント、ほぼ90パーセントでした。
 医師である鎌田氏でも予想外だったそうですが、とてもうれしく感じたと感想を述べています。
 記事からは19歳以上の人の7割以上が、一般企業や作業所などで働いている事が分かりました。これも凄い事です。鎌田氏は「みんな元気で明るく、1人いるだけで周囲の空気を良い方向へ変える力を感じる」と言っていますが私も実感です。その記事及び動画に登場する森田さん(44歳)へのインタビューがありました。「横浜市にある障害者の就労を目的としたカフェで、15年ほど前から他のダウン症の人たちと一緒に働いている」そうで、カフェではアロマハンドケアもやっています。私は松戸の東北復興支援黄色いハンカチに集っている時、このアロマハンドケアを受けた事がありますが、気持ちの良いものです。まして動画で想像する森田さんのハンドケアは、もっとやさしそう。ぴったりの仕事だと思いました。週5日間働き、健常者と変わらない充実した日々を過ごしています。これを見ても神の目には障害者も高価で尊い事が分かります。
 この動画と記事を閲覧し、直ぐにこの7月26日起きた、神奈川県相模原市の障害者施設での殺傷事件が頭に浮かんで来ました。単独犯としては19人を殺し、26人に重軽傷を負わせるという、類なき残忍な事件でした。植松聖容疑者は「重度障害者は生きていても仕方がないので、安楽死させた方が良い」とか、「障害者は不幸を作ることしかできません」と発言し、書いたそうです。
 この事件については、マスコミや一般の人々がいろいろな事を書いています。「死んだ障害者への深い悲しみ」「植松容疑者への憤りと死刑要求」。これは私だけでなく、相当多くの人の意見でしょう。「相当」と書いたのは、そう思わない人も少なからずいるからです。やはり東大全共闘に助手共闘として加わり、私にも思想的に大きな影響を与えた最首悟氏は、ダウン症の3女がいますが、朝日新聞サイト(http://www.asahi.com/articles/ASJ854DWTJ85ULOB007.html?iref=com_favorite_01)で、植松容疑者の事を精神異常者でも快楽殺人者でもなく、正気だったと考えています。そして「今の社会にとって、『正しいことをした』と思っているはず」と推察し、「共感する人も必ずいるでしょう」と述べています。また一生物学研究者として「命とは何かを問うとき、その人の器量が問われる。障害者はいなくなってしまえばいい、というのは浅い考えだ」とも付け加えました。
 その点で身近にその器量を問われた人がいる筈です。今血液検査だけで出生前の遺伝子検査が出来る時代です。ですからその検査を受けて、胎児がダウン症と分かり、堕胎した人がそうです。その人の器量は植松容疑者と同じです。聖書に「見よ。子どもたちは【主】の賜物、胎の実は報酬である」(詩127:3)とある通り、主なる神が胎で子を形造られたのですから、その胎児を堕胎した人は、聖書の基準では「殺人者」なのです。
 人がどう言おうと、私は聖書の基準で考えますから、殺人者は当然死刑です。「あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足」(申命19:21)。それ故世の裁判官の裁きの如何に関わらず、神は植松容疑者の死後、怒りの裁判席から永遠の滅びの判決を下されます。
「自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」(ローマ12:19)。
 植松容疑者でさえ、かつては「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と神は言われました。彼が生きて獄中にいる時神に立ち返る事を希求します。そうすれば、死刑で身体は滅びても、魂は永遠のいのちを頂けます。
 同時にアンケート調査により、ダウン症という障害を持った人の9割近くが幸せで、仕事も満足し、与えられた命を生きている事も、再度覚えましょう!障害者も健常者も等しく神の目には高価で尊いのです。