ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原発事故で殺処分された家畜

 「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています』(ローマ8:22)。
 最初の人間が犯した罪の為、全ての造られたものがうめき、苦しみ、死んでいます。その終わりの日はいつか必ず来ます。

 2016年10月22日の福島民報を見ると、改めて原発事故の悲惨さが多くの家畜にも及んでいた事を思い起こさせました。画像はウイキより。
 記事によりますと、福島第一原発事故により、旧警戒区域(*原発から半径20キロ圏内の大熊、双葉、富岡の全域と、楢葉、浪江、南相馬、田村、川内、葛尾の市町村の一部)に生存していた家畜は、殺処分される事になり、その所有者の同意を得て筋弛緩剤で安楽死させられ、その区域内の百十カ所の土中に埋められました。
 ところがこの埋葬は、当時あくまで衛生面からの応急措置としてされた事を知りました。
 現在私が通っている教会は、相当数がこの旧警戒杭区に住んでいて、いわきに引っ越して来た人々です。それで当時の状況を改めて詳しく訊く機会がありました。所有者の中には安楽死させるのは忍びないと、解き放ってから区域外に逃げた人もいます。それらの家畜は放射能汚染を受けながらも、野生化し、かなりの間生きていたようです。旧教会は大熊町にあり、まだ会堂を新しく建てたばかりでしたが、そのまま放置して全員逃げた為、近くのダチョウ園にいたダチョウがそこを巣窟にしていたみたいです。
 またほとんどの人が着の身着のまま逃げた為、畜舎に繋がれたまま、餌がなく餓死した家畜もいました。
 さらにこの旧警戒区域で電気もガスも来ないのに、放射能を浴びる事を覚悟しつつ残っていた人がいました。その人は出来る限り牛でもイノブタでもダチョウでも、犬や猫でも見つけたら引き取って育てていたのです。これには驚きました。その人の古里は上記大熊町の南にある富岡町です。その人と家畜を撮影したサイトがありました(http://www.earth-garden.jp/culture/42241/)。私は7月28日に初めて富岡町のゴーストタウンを抜け、JR常磐線富岡駅があったところまで車で行きました。

 写真はまだ復旧もされていない富岡駅で、レールが切れています。その先に上記サイトの最後に出て来る、桜のアーチで有名な夜ノ森駅がありますが、帰還困難区域で放射線量も高く、厳重な警戒がされていました。許可証のない一般の人はまだ入れません。一方写真のこちら側、撮影した私の後ろでは、JRの関係者の車が通り、重機が入って、現在常磐線はここまでという竜田駅方面に向け、懸命な復旧作業が続けられていました。勿論写真に見える建物は3・11のまま、連なる山の先に福島第一原発があります。
 それで殺処分された家畜ですが、民報によると富岡町の不明な田んぼで、今年2月重機により埋葬されていた牛5頭が掘り起こされました。太陽光パネルが設置される為、いち早く実施されました。骨と皮が出て来たのですが、それは富岡町の焼却炉で焼かれ、焼却灰はその炉のある敷地内に保管されています。
 環境省が土中に埋められた家畜を掘り起こし、もう一度焼却して最終処分するという方針を固め、年内にもその作業に着手するそうです。ですから上述富岡の場合は緊急措置として行われました。それらの焼却灰の多くは指定廃棄物最終処分場となる、富岡の「フクシマエコテッククリーンセンター」で処理される予定です。こうした作業は今後帰還する住民に配慮してとの事でした。
 これから始まる掘り起こしですが、安楽死させられた家畜、餓死した家畜を合わせると、牛約3300頭、豚約16000頭、鶏約80000羽等々だそうです。その数の多さにも驚きました。神が人間の益の為に造られた家畜を、原発の為に政府が殺処分を決めました。元はと言えば、危ない原発をこの福島の大熊町に誘致させた東電に責任があるのでしょう。
 この掘り起こしから最終処分処分までを想像していた時、突然思い出したのが「カティンの森」という映画でした。ウイキによれば、「第二次世界大戦中にソ連のグニェズドヴォ近郊の森で約22,000人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がソビエト内務人民委員部によって銃殺された事件。『カティンの森の虐殺』などとも表記する」とあります。
 その映画の中でポーランド軍将校らの死体が掘り出された生々しい場面がありました。人間の虐殺だから、これからも語り継がれてゆくでしょうが、福島の家畜の「虐殺」は、もう風化しつつあります。おそらくその110箇所での掘り起こしも、ひたすら内密のまま行われるのでしょう。人間の勝手で殺された家畜があわれですね。