ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

福島復興と称して高校生まで駆り出すのか

 「民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ」(ヨエル2:16)。
 皆様明けましておめでとうございます。年末の風邪でひたすらベッドにもぐり、温かくしていたため、ブログ更新やコメントが大幅に遅れ、申し訳なく思っています。
今年も福島で見聞きした事を伝えてゆきたいと願っていますので宜しく。
 2016年11月19日福島民報の小さな記事を見逃す事はありませんでした。その題は「福高生、第一原発を見学」副題は「SS部 事故後高校生で初」です。
 福高生は福島県で偏差値トップの高校の生徒です。そしてSS部とはスーパーサイエンス部の事だそうです。その物理放射線班などに所属する1年生9人、2年生4人、計13人の男女生徒たちが、東電第一原発廃炉作業の現状を詳しく知りたいと、訪問を希望しました。
 一役買ったのが東大大学院の早野龍五教授とコピーライターの糸井重里氏です。早野教授は福島高校との交わりの機会が多く、今回若い彼らの要望に応える形で、東電第一原発の責任者と交渉して、東電側の了承を得たようです。願いは実現しました。写真はゲート前で、右の林から南に向かい放射線量が高いです。信号一つ手前のそこへ、何を間違ったか右折し、えらく怒られたのを記憶しています。

 一行はどういうルートを通ったか分かりませんが(広野町のJビレッジからなら、国道6号を南から北)、バスをチャーターして東電第一のゲートから中に入り、巨大な汚染水貯蔵タンク群を見ながら、特に1号機に接近し詳しい視察をしたようです。バスから降りる事はなく、車内で東電福島復興本社代表石崎芳行氏から説明を受けました。車内の彼らは、窓の外に見える作業員のヘルメット・マスク・白い防御服姿とは対照的に普段着でした。その間約2時間、さすがに1号機を前に除染の話を聞いていた時間は、数分間だけだったそうです。
 民報では2時間滞在での被ばく線量は10マイクロシーベルト未満だったと書かれています(複数のサイトを参照すると情報に食い違いが見られます)。もし2時間なら毎時5マイクロシーベルト未満という事になります(政府基準の追加被ばく線量は、年間1ミリシーベルト=毎時0.23マイクロシーベルトだった事を思い出して下さい)。結構高い被ばくだと思いますが。ちなみに糸井氏が持っているデータでは、高校生たちが行った1号機周辺は毎時44マイクロシーベルト、通過した3号機は毎時200マイクロシーベルトを超えています。
 ゲート付近は地名で言えば夫沢、毎日見ていますが、平均毎時11.2マイクロシーベルト以上で、上方に向かい大きくぶれており、大熊町でも突出しています。
 この視察では高校生たちは親の承諾を得ているそうで、東電としても18歳以下は従来視察禁止だったのに、それは「内規」という事で許可しました。これからもそうした若者たちに、廃炉作業の見学希望があれば、門戸を開くつもりです。
 危惧していたのは福島高の教諭で、「見学が東電の安全の宣伝に利用される可能性や、宣伝に利用されたと非難する声が上がることがリスクだと考えた」そうです。小さな記事ではありましたが、早速ネットでは自己中心の人たちがバッシングしていました。
 廃炉作業の為全国から優秀な若者たちを集めたい東電としては、第一原発構内でも安全だ、安全だと宣伝したいわけですから、教諭の恐れた事はその通りになったと私は判断しています。でもこれはあくまで私の推測ですが、バッシングを見て、構内見学はまだ時期早々でまずいと思ったのでしょう。次は筑波大付属駒場高(東京)と灘高(兵庫)の生徒の見学でしたが、東電は辞退?日本原子力研究開発機構が、楢葉町遠隔技術開発センター(モックアップ施設)へと導きました。廃炉技術の研究なので、第一原発の現状をやはり上記東電の石崎氏が説明しました。楢葉町は2015年9月全町で指定解除されているので、私が調べた限りでは、東電に対するバッシングはありませんでした。
 福島高校の生徒は自分たちが見聞きした事を、来年フランスでも同世代の若者たちに伝えたいと願っています。でもねえ、それで福島の復興は加速するのでしょうか?1995年の東海村JCO事故と、被ばくした人の悲惨な最期を比較的身近に見聞きした者として、放射能は目に見えないけれどやはり怖い、と思う気持ちは大切に持ち続けたいし伝えたいです。