ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ふくしまという名の舟に乗って

 「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう」(箴言27:4)。

 しばらくご無沙汰していました。多忙で書く暇もないといったところでした。健康は守られ、浪江視察や台所の補修、8畳板の間では教会の方から頂いたフローリング材を組み合わせて敷き、だいぶ形は整ってきました。それらについてはまた書く機会があると思います。もうそろそろスタイルを変えて、日常的な日記なら続くかなと思っています。閲覧して下さっている皆様には申し訳ない気持ちです。
 福島県いわき市勿来町に引っ越して来てから1年と4ヶ月になります。2駅目の教会に通っていますが、中核となっている会員の方々は、浪江、双葉、大熊、富岡出身の方が多く、6年経過し、今年の避難指定解除後どうするかといった事柄も、直に聞く事が出来ます。左写真は我が家近くの新築災害公営住宅です。夜だから人が住んでいるのがわかります。6年経過しやっと建つところもあります。
 福島第一原発事故の場合、とにかく身一つで、理由も期間も知らされず、強制的に指定されたところに避難しなければならないという大変な試練を経て、それぞれの地域に定着したわけですから、補償を受けるのは当然の権利です。
 けれども教会ではなく、未信徒で震災・津波被害だけに遭い、ロクな補償ももらえなかった人々は、一生涯かけても手に入らない新しい土地と建物、高級車などを身近に見せつけられて、心に複雑な思いを抱き、特に冒頭聖句にあるように「ねたみ」の感情に駆られる人々が実に多いです。特に高級車でパチンコ屋に出かけ、不労所得を得ているような人に対する風当たりが強いです。しかしだいたいはねたむ人も、ねたまれる人も、その感情を心の奥底に隠し、まず口に出す事はありません。
 木村孝夫といういわき市在住の詩人がいます。『ふくしまという名の舟にのって』という作品があります。3・11による大災害を風化させない為に、3年間にわたり見聞きしたり、奉仕活動をしたりして、特に原発災害の事を主体に詩作を纏めています。たくさん紹介したいところですが、紙幅の事もあり、2つだけ一部省略し掲げます。
 『内緒』 「内緒ですよ、と耳元で囁く いわき市に家を買いました 同郷の人には まだ内緒ですが いわき市民になりました 仮設住宅の生活に疲れ ストレスで亡くなる方もいて 私も主人も病院通いの日々です 狭い部屋の中では 新鮮な呼吸をすることもできずに 肺も体も だいぶ小さくなりました 古里を見捨てたようで 心苦しいのですが 新しい住所を泣き泣き買いました…みんな そっと内緒の中で 家を買っているみたいです 悪い事をしたように 頭を下げているのが分かります 私たちもそうでした」。
 『崩れた神話』 「小さな田舎町の山林をブルドーザーで切り崩して 大きな神話を創造した 山林がなだらかな平地に降り立つと あっという間に魔法の箱が幾つも並んだ 神様が約束したような錯覚に溺れながら 魔法の箱を造るたびに 町は潤い人も潤った 魔法の箱は バベルの塔と競い合うように 横へ横へと伸びていった その頃の海は どこまでも透明で 小さな舟は 競い合うことなく 水平線を背景に 海の恵みを上手に分け合っていた…神に挑戦するように 原発は安全だという 神話を作り上げてきた人たち いつの間にか その存在は 生活の骨格の中心に居座るようになった そして長い時間 その神話に寄りかかってきた ある日 大地震がやってきて 大きな津波が神話を飲み込んだ 魔法の箱は煙を吐き出し あっという間に大爆発を起こした 崩れ去った神話の箱から 放射能が漏れ 東北地方の海沿いに降り注いだ 山や海や川や田畑の生活の拠点が 放射能で汚染されてしまった 理由もわからないままに ただ車に乗せられて 道路の不安な曲線を何処までも走った 情報は後から追いかけてくるから 立ち止まるたびに 心の方向を切り替えていった 日本の狭い国土のどの地点で 安心感を享受することが出来るのか 泣くだけ泣いても 今も古里に戻れないでいる 原発の安全が崩れた日を 忘れることはない」。
 全くその通りでした。しかし神を信じる人々から成り立つ教会は、その日を決して忘れる事はなくても、どんな患難があっても、ねたみが罪である事を知っているので、皆が一致して上の天を見上げつつ歩んでいます。「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません』(ローマ13:13−14)。