ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

避難指定解除の浪江町視察

 「あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、『破れを繕う者、市街を住めるように回復する者』と呼ばれよう」(イザヤ58:12)
 2017年4月4日に、避難指示解除になったばかりの浪江町を視察して来ました。と言っても、浪江町の大半が今も帰還困難区域になっています。下左の図で東西に長い町の広い区域が依然として帰還困難なのです。前に書いた事のある大堀相馬焼の拠点大堀地区も帰還出来ません。

 常磐道勿来インターから浪江インターの一つ手前の富岡インターで下りて国道6号に至り、まっすぐ北上し大熊町福島第一原発ゲート付近を眺めながら、浪江町に行きました。富岡インターを出た瞬間から、多くの作業員さんが除染の仕事をしていました。富岡町も指定解除になったものの、まだ帰還困難区域があり(夜ノ森駅から東の海に至るまで)、私が目撃したのは、おそらく遅れていた居住制限区域の解除で、町民が戻れるように作業を急いでいたのでしょう。写真左。

6号にぶつかると夜ノ森駅がすぐで、厳重なバリケードがあります。

 浪江では再開した町役場の駐車場に車を留めて、そこからやはり営業を再開した浪江駅とその周辺の商店街を歩いて見て来ました。写真右が役場。
 町役場から浪江駅に向かって商店などを眺めると、解除されたとはいえ、町民が全く歩いていません。異様な光景です。このあたりですと、彼らの大半がもはや戻らず、商店も営業が再開出来るか全く見通しが立たないから、帰れないのでしょう。写真左下。

 ほどなく浪江駅へ。ここから北の南相馬市小高駅までの約9キロが運転再開されました。到着は昼少し前で、駅舎やホームに誰か人がいないか見回したのですが、やはり誰も目撃出来ませんでした。

右の写真がオープンしたばかりの浪江駅。
 帰宅してから知ったのですが、この日テレビではやはりオープンした浪江郵便局を取材していたようです。用もないのに中を覗くと不審者に見られそうで、早々に立ち去りました。たぶん左下写真の通りの奥の左にあったと思います。この通りでも、誰にも会いませんでした。会えば仮設店舗「まち・なみ・まるしぇ」を教えてもらえたのに残念!そこなら大堀相馬焼とか浪江やきそばなどがあって、買い物出来た筈です。

最後に浪江町役場に戻り、周囲を見渡したら、新築平屋の施設が目に留まりました。それが3月28日オープンした浪江診療所です。

 いました!帰宅の為車を待っていたおばあちゃんです。たぶんこの診療所の開所を心待ちにしていたのでしょう。浪江町唯一の医療機関だからです。
 ネットで調べると、浪江町民で帰らないと決めた人が約5割、いずれ帰りたい又はまだ判断がつかないが5割です。戻らないと決めた人は、当然にも医療環境への不安を挙げていました。こうした医療体制の充実が喫緊の課題ですが、そんな大切な事に国は冷淡です。「運営費を支出すれば、予算が青天井に必要となる。それは財布を握る財務省が認めない」(福島民報5月17日)からです。しかし帰還したいと願っている人々にとっては、最も重要なインフラの一つです。彼らには道路や防潮堤など二の次の問題です。
 福島復興を背後から支援していると言った大臣がいましたが、赤字で悲鳴をあげている浜通り医療機関を手厚く保護しないで、それは無い筈。全ては五輪までのカモフラージュ?

 いやその後、福島第一原発を遠くに見ながら、海岸沿いの高台を走らせていると、人っ子一人いない広大な林で、南相馬市との境あたりから、突然除染の作業員が多く出現しました。おそらくは国が主体のロボットテストフィールドとか、新たに決まった世界最大規模の水素製造工場建設の地均しの為でしょう。東北電力が予定していた浪江・小高原発予定地が町に返還された後、体力の弱っている町に代わり、国は庶民の生活と関わりないそんな施設の建造計画を着々と進めています。