ウクライナのチェルノブイリで生後一ヶ月で被災したカテリーナさんのコンサート
「立琴をもって【主】に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ」(詩33:2−3)。
2017年5月30日、私が通ういわきの教会で女性一人のミニコンサートがありました。カテリーナ・グジーさんです。「バンドゥーラ」という楽器を弾きながら、幾つか歌を披露してくれました。ネットではhttp://www.myeyestokyo.jp/4379が参考になります。
バンドゥーラという楽器をご存知ですか?ハープを小さくしたような弦楽器で、63弦あるそうです。それを右手の指の爪で弾いて音を出します。楽器の裏側に半音を上下させるペダルがあり、その時は左手で操作します。材質は松だそうです。私が聴いた限りでは、鍵盤楽器のチェンバロによく似ていました。ウクライナの民族楽器ですが、日本での奏者は彼女と姉の二人だけです。大半の人がピアノや声楽を習うほうへ進み、この伝統的な楽器を選ぶ人は少ないそうです。教会ではCDも販売していました。ウクライナでは母を想う曲が多いそうですが、ミニコンサートの最後では、坂本九さんの「上を向いて歩こう」を日本語で歌ってくれました。
カテリーナさんはウクライナと言っても、かのチェルノブイリ原発から僅か3・5キロ離れたところで生まれました。それから1ヵ月後に原発事故が起きたので、勿論記憶はありません。父母からその話を聞かされていただけなので、教会では詳しく触れる事はありませんでした。しかし父親は原発の労働者で、事故から25年後に身体が弱ってゆき、2012年1月に亡くなりました。ネットや朝日サリイの情報では、母親はウクライナの西にあるキエフの仮設住宅で元気にしているそうです。
旧ソ連政府は「一番大事な物だけ持って、3日間だけ避難して下さい」と呼びかけ、全ての住民が用意されたバスで逃げました。その後誰もチェルノブイリに戻る事が出来ませんでした。高い放射能の為です。先月で事故から31年経過しました。いつだか聞きそびれましたが、チェルノブイリのふるさとに行ってみた時、「空気が重い」と感じたそうです。
それはいわきの教会と全く同じ状況でした。違うのは教会員がほとんど大切なものを持って避難するのが出来なかった事です。そして今もそこは帰還困難区域となっていて、戻ることは出来ません。
キエフでは避難者対象に支給された食料、学用品などを巡り、地元の小学生からいじめを受けました。それは今の福島県外に避難した小学生以上の子どもたちとも共通しています。いじめは嫉妬から来る大きな罪です。普遍的な問題です。
幸いだったのは支えてくれた音楽仲間で、その時初めてバンドゥーラという楽器を知り、それを習いました。それで教えていた先生の助言により音楽学校にも行き、10歳の頃良く知られた日本のフォトジャーナリスト広河隆一氏に招かれ、1996年に初めて来日しました。
それから10年後20歳の時、音楽活動の為に日本に移住しました。場所は東京、しかし大阪に用事で行っていた時、東電原発事故に「遭いました」(*関西圏も放射能は飛んだので、そういう表現は間違いではないでしょう)。二度目の被災でした。結婚した夫の実家においてでした。既に男の子が生まれていました。
東京は四谷近辺に住んで音楽活動を続けていますが、自分と子どもを放射能から守るのは難しいと言っていました。その通りだと思います。新宿でもたとえ確率は低くても、東電事故による放射能障害がゼロとは言えないからです。
ロシア聖公会の信徒だそうですが、音楽活動と共に、その信仰の証もぜひ伺いたいものだと思いつつ帰宅しました。