ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

中村哲氏は神によって守られている

 「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから…」(詩23:4)。
 まず中村哲著『天、共に在り』を紹介して下さったmm3493さん(http://d.hatena.ne.jp/mm3493/20170516#1494936540)に、心より感謝します。
 通読しながら考えた事を記してみます。
写真はウイキからお借りしました。
 中村哲氏は1946年生まれ、九州大学医学部を卒業し、久留米大学で麻酔科研修中に初めてパキスタンペシャワール・ミッション病院で働いた事が、以後のイスラム圏との長い関わりの嚆矢でした。1983年のペシャワール会設立となりました。
 中村氏はクリスチャンです。ヘブル語旧約聖書のインマヌエルを、「神髄」として掲げています。この言葉は旧新約を通し3回しか出て来ません。インマヌー(私たちと共にいる)とエル(=神)から成り立つ
言葉ですが、中村氏はこの神を天と意訳し、著書の題『天、共に在り』としています。
 ご承知の通り、キリスト教イスラム教には共通点が多くありますが、勿論対立点もあります。神は旧約ではエルまたはエロヒーム等、イスラム教ではアッラーという事になるでしょうが、広く天と解釈する事により、イスラムの人々と深く繋がる事が出来、信頼関係も生まれたと言えるでしょうか。
 そのイスラム圏ではキリスト教徒と言えども、いのちがいつも守られているわけではありません。それは過激派組織に殺されたとされる後藤健二の例を挙げれば分かります。しかし中村氏は1991年に、今も激戦地となっているアフガニスタンに移り、30年にわたる本格的な医療活動、井戸掘り、広大な用水路の建設を行い、なお内戦や米国の参戦の最中守られて来たのは、まさに神が中村氏とともにおられた為の「奇跡」としか言いようがありません。
 私はこの本によって、中村氏や日本人技師や現地のアフガニスタン人による大がかりな物量作戦を、写真や土木の専門的な図を通して知りました。ちょうど我が家の壊れた床を親友の1級建築士の助言を得て終了させたばかりで、重機も用い用水路や取水堰等々を制する膨大な事業を、極めて大きな興味を持って読み通したのでした。
 マルワリード用水路建造とその堰の完成、それによるガンベリ砂漠の緑地化、豊かな田畑の広がりをカラー写真で見ると、そのすばらしさに圧倒されます。これも人知人力を傾けた人々による砂漠克服の奇跡と言えます。
 しかし私が注目するのはまさにその個所です。その完成間近、おそらく人々は広大な自然を人の力で征服したという、神抜きのバベルの塔の如き錯覚に陥っていたのかもしれません。「我々の仕事は完全です」。だから神は僅かの期間でも、ご自身を抜きにした「完全な」用水路の完成に対して、自然を通して痛いしっぺ返しを行なわれたのでした。それが未曾有の大洪水でした。取水堰が大丈夫でも、洪水の濁流が殺到したらどうなるか、手伝っていた田んぼの用水路の堰を誰かが勝手に開けた為、土嚢を越えて大量の水が田んぼに流れ込んだのを見ているだけに、容易に推察出来ました。
 中村氏は「自然を前にして人間の技術的な成功は、一時的なものに過ぎない。まぐれで厄災を逃れ、成功に酔っていただけだ。しばらく呆然として何も手がつかなかった」と記しています。しかしそれが神の与える試練であり、大きな教訓となったのでした。「いかに自然と折り合うかが最大の関心となった」。東電などは原発津波災害をそうした観点から見つめているでしょうか?この本の白眉とも言える点は、試練を受け止め、自然をも繰る神への視点に戻った事で得た、神からの豊かな恵みだと確信します。
 中村氏らは悔い改めと神への真剣な祈りにより、再び「途切れぬ水が来ることを信じ」ていたので、「連続堰」という新たな取水システムを構築し、当時襲った大洪水を上回る洪水にも対処する事が出来ました。そして「作業地全体で爆発的に水稲栽培が拡大」したのでした。
 終章で中村氏は「人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも私は『カネさえあれば何でもできて幸せになる』という迷信、『武力されあれば身が守られる』という妄信から自由である」と述べています。現政権への強烈なパンチでしょう。「【主】を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」(箴言1:7)。