ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

戊辰戦争で戦死した会津藩士は埋葬されていた

 「そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた」(ヨハネ19:40−42)。
 2017年9月26日の福島民報に「会津藩士埋葬の資料発見」という見出しの記事がありました。「はまなかあいづ」とNHKで呼ばれている福島の各地方ですが、会津は元気がよくて、記事は多くあります。

 毎年9月下旬に最大の会津祭りが開催されます。特に目を引くのは日新館童子行列ではないでしょうか。市内の小学生多数が、鎧兜の武士、白虎隊の服装で鶴ヶ城のある町の中心街を、「エイエイオー」と叫びながら練り歩くのです。
 白虎隊と言えば戊辰戦争の時、藩校である日新館で学んだ少年たちが白虎隊士として出陣し、最期は壮絶な戦死を遂げた事で知られています。
 この戦争で藩士約3,000人が亡くなったそうですが、この藩士たちは罪人とみなされ、当初埋葬が許されず、6ヵ月後に阿弥陀寺に埋葬されるまで、野ざらしのままにされたと言い伝えられて来ました。
 それが今度の新しい資料では、ずっと早い10月に567の遺体が近くの寺や墓地に埋葬されていた事になります。この資料の信憑性については良く分かりませんが、朗報には違いないでしょう。
 救い主イエス・キリストの場合はどうだったでしょう。十字架刑については既に旧約の申命記にあります。「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、【主】が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない」(申命記21:22〜23)。
 勿論キリストは無罪でありながら、私たちの罪を負って十字架で死んで下さいました。その時神にのろわれた者とされたのです。
 マタイ伝によりますと、死後アリマタヤのヨセフという人がイエスの遺体を引き取り、埋葬しました。「夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った」(マタイ27:57−60)。
 すると会津藩士と異なり、イエス・キリストの遺体はすぐ丁重に埋葬された事になります。同じ敵対者の烙印を押されながらも、埋葬で違いが現れました。
 この救い主イエス・キリストの死、埋葬、三日目の甦りを「福音」と言います。