ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

昔起こったことは、これからも起こる

 「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。『これを見よ。これは新しい』と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう」(伝道者の書1:9−11)

 図書館から辺見庸氏の著作『瓦礫の中から言葉を』を借りて読みました。氏の故郷は岩手県石巻市なので、3・11の大津波でそこが壊滅状態になった事が良く分かります。岩手県のみならず、福島県浜通りの状況まで知悉しています。あの未曾有の大震災により打ちのめされて、一時言葉を失いました。
 冷静さを取り戻した氏は、あの出来事で、「みんなが、大なり小なりPTSDを負ってしまった」と言っていますが、それは私の所属する教会の信仰者でも同じで、ごく自然な事です。あれから7年経過しましたが、その癒しにはなお時間がかかります。全然楽観的な状況ではありません。
 あの3・11が起こる直前まで、「まさかそんなことは起こりえない」と、氏を含む大多数の人々は考えていました。しかし氏はその時点から、上記聖書の伝道者の書の個所を念頭に、そうした表現を死語にしてしまいます。「ありえないことは、もはやなにひとつない。かつてありえないとされたことも、これからはすべてありうる」と思考を修正しました。「起こりうる」は「避けられない」とも言い換えています。
 だからとりわけ原発技術者には、「事故はありえない(*氏は英語で表現)という、非常に不遜な、傲慢な前提があったに違いありません」と言っています。しかしそれとて、既に聖書の神は、最初から罪を犯した人間の「不遜さ、傲慢さ」を、全巻を通してあまねく啓示しています。
 あれから7年、無信仰な政府、規制庁、御用学者たちは、科学技術の「進化」をもとに、いつのまにかこれからの原発は、世界一厳しい基準で審査したので、事故はありえないと、神を差し置いて高慢な自己中心に陥り、科学万能論を唱え、全能者として振る舞い始めました。絶大な経営者としての東電の甘い汁を吸い続ける思惑もあってでしょう。
 だからその線に沿って上からは「福島は完全にコントロールできている」という嘘を世界に撒き散らし、福島や日本国中の住民を説得し、安心させようとしています。
 「先にあったことは記憶に残っていない」と伝道者の書では言っています。だから為政者はあの大災害をまるで無かったかのように、記憶を消し「復興」の大キャンペーンを進めています。「7年の歳月が流れ、被災地では復興が一歩ずつ着実に進展しております。地震津波被災地域では、生活に密着したインフラの復旧はほぼ終了し、住まいの再建も今春までに9割が完成する見通しであります」(7周年追悼式での安倍首相の認識とその表現)。
 辺見氏の思考はそこに留まりませんでした。「『われわれ』が無意識に『私』を統制しているという注目すべき側面があります。上からの強制ではなく、下からの統制と服従大災厄の渦中でも規則正しい行動をする人々。抗わない被災民…」。マスコミなどが意図的に取り上げた、この日本人の「美質」なるものは、現場を知らない記者などが作り上げたもので、実際原発から5キロの教会の方々の話を聴いても、当日自衛隊その他の車に強制的に乗せられ、必需品を取りに家に戻りたいと抗議しても、ただただ「避難せよ」という命令一辺倒で、それに従わせられただけと言っています。
 そしておおむね20キロ圏内に敷設された警戒区域だけに出された手厚い補償金、そうでない区域ではおざなりの一時金という政策で、七年経過しても福島県全体が完全に分断されています。というものが強く復興を加速させているので、それに異を唱える者は県人にあらずといった規制と排除が、隠微に進行しています。放射能が危ないという学者や庶民は、政府の進める帰還政策に反すると、上からも下からも突き上げられ、沈黙させられてしまいます。辺見氏の著作はそうした諸々の事柄を銘記させてくれました。
 「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください」(ピリピ2:2)という、パウロを通してのキリストの忠告に従っている教会は、今後も苦難に遭っている人々の避け所となるでしょうし、分断の悲劇を解決し、愛による一致をもたらしてくれると信じます。神だけが全知全能完全な方ですから。