ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

西会津の練心館

 「ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。『おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ』」(サムエル第一17:8)。
 イスラエル人とペリシテ人は宿敵同士、ペリシテ人強豪のゴリヤテは、イスラエルに一対一の勝負を提案した。ゴリヤテは長身、兜や鎧、脛当て等々で重武装し、背中には投槍があった。
 イスラエルは恐れおののいて、誰一人彼に歯向かう者は居なかった。そこで少年ダビデが出て来て、一対一の勝負となった。と言っても、ダビデの場合「投石袋」の中の石と、「投石器」だけの原始的な武装だった。到底ゴリヤテに対する勝ち目は無い。しかし一つだけ違うものを持っていた。主なる神への信頼である。これでも必ず勝てるという確信だった。「【主】が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは【主】の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」(サムエル第一17:47)。
 ただの信仰だけではない。投石にかけては、普段から基本的な練習を積み重ねて来た。だから相対しても、相手の弱点を見抜いており、そこに石が当たれば致命的な傷を負わせる事が出来た。「石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた」(同17:49)。
 福島に来てから会津藩戊辰戦争がいまだ盛んに喧伝されている事を知った。藩校の日新館は弓術で有名だ。上記の武具「石」に対して、こちらは弓に番える「矢」である。どちらも的を目指して放つ。この的を外さないということが、聖書では「罪を犯さない」という意味になる。
 一方2018年12月9日の福島民報では、西会津町野沢という所に「練心館」という剣道場があって、子どもたちが懸命に練習しているのを知った。
 この道場を立ち上げたのは、今年8月92歳で亡くなった山本隆夫氏。会社の退職金をはたいて作った。子どもたちに剣道の基本動作、その美しさを教える為だった。民報には「崩れない姿勢と強い気持ちで攻める心を鍛錬した」とある。これはダビデ少年にも当て嵌まるる。その道場には息子の山本裕司氏も通った。裕司氏は父が亡くなったあと、日増しに偉大な父であった事を実感しているそうだ。
 それで練心館は、裕司が引き継ぎ、名前も「練心館山本隆夫道場」に変更するという。
 父親隆夫氏のモットーは「剣は心なり、心正しからざれば剣また正しからず」というものである。いい言葉だなあと思う。まず心を正す、それから剣という順序。まず罪を悔い改めて信仰、それからクリスチャンとしての歩みという順序に通じる。