ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原発事故で放射能を浴びた人々や作物などが忌避されている

 米国の評論家で2004年急性骨髄性白血病により死亡したスーザン・ソンタグは、1978年『隠喩としての病い』を、1989年に『エイズとその隠喩』を出版しました。その2冊は合本され英語でも日本語訳でも読めます。

 前著では結核と癌(梅毒やハンセン氏病も)が、後著では勿論エイズという病いが頻繁に出て来ます。
 癌や結核の比喩的な定義としては、オックスフォード英和辞典から「ゆっくりとひそかに浸潤し、腐食し、腐敗させ、消耗させるもの」が挙げられますが、スーザンはその順序を考えます。まず道徳的腐敗・堕落、汚染、無秩序、弱さ、死といった深い恐れの対象となるものが病気と同一視され、次にその病気自体が隠喩となり、さらに隠喩化された病気が語られる時、その恐怖が他のものにまでも負わせられ、病名は形容詞化されるという事です。ちょっと難しいですが、例えば死を考えた時、それは直ちに癌と同一視され、その癌という病名から形容詞が生まれ、その形容詞を調べると「手に負えない、増大する悪のような」という意味が出ています。例として「ポルノは子どもたちの道徳的発達にとっては癌のようなものである」「イランの指導者はイスラエルを排除すべき癌の腫瘍だと言った」などいろいろ出て来ます。負わされた他のものとはポルノやイスラエルという事になります。スーザンはナチスが梅毒の比喩の対象としたものこそユダヤ人だったと言っています。
 ですから昔の人々は感染と死の恐怖からハンセン氏病結核の患者を、「隔離施設」「サナトリウム(療養所)」に押し込め、その一生を終わらせました。ちなみにエイズは特殊な感染ルートがあるようですが、特に隔離政策は強く進められていないようです(病院に特殊感染症病棟があるそうですが)。そして死んだ患者の衣服や所持品が焼却処分される事は、長い間の慣習となっていました。
 残念ながら旧約聖書のヘブル語ツァラアトは、ハンセン氏病と良く似ている為、文語訳から新改訳の古い版まで「らい病」とされ、やっと正体不明の皮膚病として、原語のツァラアトが使用されるようになりました。旧約ではそれは「汚れ」と同一視されました。するとツァラアトにかかった人の「衣服、織物、編物、皮製品」などが汚れたものと見做されたのです。新約に至ってから、救い主イエス・キリストツァラアトの患者に直接触れて癒されました。
 「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ』と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた」(マタイ8:3)。イエスにとってはおよそ汚れた病など心中になかったのでしょう。
 梅毒、ハンセン氏病結核は良い治療法の普及で急速に減っています。スーザンが癌やエイズについて書いていた頃は、まだその有効な治療法が確定的でなく恐れられていましたが、現在盛んに研究が進められ寛解にまで漕ぎつけました。
 ですから時代の変遷と共にそうした病は、上記の比喩的定義から外れつつあり、連想させる恐ろしい死、おぞましいものという考え方が薄らいでいます。
 しかしです。ここに来て全く新たな病いが人々を恐怖に陥れるようになりました。それが「放射能汚染症」ともいうべき病いです。
 放射能外部被曝内部被曝により、急速に又はゆっくりと且つひそかに浸潤し、遺伝子を破壊し、最終的に死をもたらす恐ろしいものです。しかし外部被爆者がそうでない人に感染させる危険はまずないのに、被害の及ばなかった地域では感染症と見做して受け入れを拒否する事例が出ています。また汚染されていない福島産の作物まで恐怖の対象として忌避されています。朝日ウエブ論座で9月27日、武田徹氏がそんな「暴力の構図」を指摘しています。今やフクシマが恐るべき汚染の比喩となりつつあります。フクシマを巡り人々が対立し合う、考えても恐ろしい事です。
 その放射能は消える事なく何十万年と持続し人々を恐怖に陥れるので、隠喩としての使用は廃るどころか、ますます増大してゆく気がします。そんなふうにしてしまった東電こそ悪の隠喩となります。現場で頑張っている社員は隠喩とはならないでしょうが。私たちはメメント東電として、いつまでも記憶し定着させてゆく必要があります。