ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

イスラエルのイフタフ遺跡住居址?床のコンクリートは最古のものか

 講談社ブルーバックスの『コンクリートなんでも小事典』を大変興味深く読みました。
 コンクリの事は私の住んでいる築35年のマンション鉄筋コンクリート劣化状況を探るためにも関心を抱いていました。ですから随分役に立ちました。
 ところでこのコンクリートですが、始めのほうの箇所でその起源について触れられています。実は私もびっくりしたのですが、最古のコンクリートと思われるものが、イスラエルガリラヤ湖南で発掘されたイフタフ遺跡の(住居址か何か分かりません)床面で、何層にも重なって発見されていたのです。しかもです。その遺跡の年代が発見された炭化物などの放射性炭素C14年代測定法で、今からおよそ9000年前(あちらでは先土器新石器時代B期と認定されており、フリントなどの石器は見つかっても、土器は出土していません)とされているのです。
 この小事典を書いた人は勿論コンクリの専門家ですが、考古学では勿論素人で、このC14年代法の問題点(年代が古く出過ぎる事)を知らないので、「最古のコンクリ年代」としてしまいました。ちなみにこの本では二番目は中国の遺跡(今から5000年前とされています)、三番目にカラカラ浴場を含むローマ時代の数多くの遺跡となっています。
 ところでイスラエルの遺跡ですが、まず聖書を紐解くと、カインの子孫について「ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった」(創世4:22)とあり、彼らが既に鉄や銅などを自在に扱っていた事がわかります(鉄はセメントの原料として少量が用いられます)。しかしコンクリに関する情報はありません。そしてその後ノアの洪水が起こり、地上の一切の情報が大激変で消失してしまいました。今からおよそ4500年前の事です。ですから勿論イフタフ遺跡はその時以後の事になります。コンクリート専門家は考古学者たちの意見を鵜呑みにして、このイフタフ遺跡が世界最古のコンクリ出土遺跡としてしまったのです!
 しかしこの遺跡の発掘では、床に存在した層状のコンクリらしきものを、そうした考古学者でない専門家が分析しています。以下のサイトにコンクリらしきものを含む遺跡の写真が載っていますし、詳しい分析もされています。
http://www.concreteconstruction.net/industry-news-print.asp?sectionID=700&articleID=853243
 しかしイスラエルではノアの洪水後ずっと経過して、ソロモンの時代(紀元前970〜931年頃)に本格的な神殿が建造されましたが、列王第一6:7を見ますと、「神殿は、建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられた」とあって、ローマの大建築物とは異なり、遂に古代イスラエルでは「コンクリ文化」は発展しなかったのです。
 イスラエルの地は、石と言えば石灰岩というほど一般的でしたし(「祭壇のすべての石を粉々にされた石灰のようにし…」イザヤ27:9)、他に粘土や鉄さいもあってセメントは作り得たと思います。それに水と砂と砂利でコンクリートは出来るのです。でも古代イスラエルでは、それが遂に建築物の為に使用される事がありませんでした。頭脳明晰なイスラエル人でしたからその技術を生み出す能力は十分だったと思いますが、コンクリより切り石で間に合わせたようです。実際には新約の時代、イスラエルの国がローマの属領となっていた頃、コンクリの技術が入って来た可能性はあると、私は見ています。