ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

那須宗隆(与一)射扇図と聖書

 2011年1月12日の夕刊に、小堀鞆音という画家による那須宗隆(与一)の射扇図が載っていました。渋谷山種美術館で展示されている絵画から選んで、小川雪さんが解説しています。
 源平合戦のうち屋島での海上の戦いで、日が暮れて両者が引き上げようとする時、源氏側の弓の名手那須与一は馬に乗ったままその弓を携えています。そこで敵である平氏側の舟から一人の女が現れて、扇(絵画では赤色、真ん中が丸い黄色で的を表しているようです)を棹の先に挟んで、高く掲げました。
 それは女が那須与一に対して、この的を射てみよと挑んでいるかのようです。
 そこで源氏の大将源義経那須与一に、あの的を射抜いてみよと命じたそうです(http://www.heike-rekishikan.jp/kannai2-12.htmから)。
 絵画を見ますと、手前の馬に乗った与一の足元では大きな波が渦巻いています。そして身に着けている甲冑はいかにも重そうです。しかも的となる扇を持った女の舟との距離は相当あります(上記サイトによるとおよそ70メートル)。けれども与一は弓に矢をつがえています。そしてしっかりとその的を見つめています。
 平地ではない海上で馬に乗り、波に翻弄されて遠い的を射るのは相当難しそうです。矢が的を外せば、与一の名前も歴史に残らなかったでしょうが、彼は見事それを射抜き、「扇は空へ舞い上がり、ひらひらと海へ落ちた」そうです(上記サイト)。そこでこの偉業に対して敵味方の双方からどっと歓声が上がり、彼を褒め称えたそうです。それゆえに彼の名は有名になり、多くの世代を経て語り継がれています。なかなか優れた絵画でした。
 ところでこの的を射るという事は、聖書では大変重要な言葉になっています。
 士師20:16にこうあります。「この民全体のうちに、左ききの精鋭が七百人いた。彼らはみな、一本の毛をねらって石を投げて、失敗することがなかった」。
 ここで一本の毛とは、新共同訳によると「髪の毛一筋」となっています。この髪の毛一本をなんと七百人の左利きの精鋭たちが、石投げ器に小石を挟んで飛ばし、その標的を外す事なく命中させたのでした。失敗しなかったのです。
 この「失敗する」という言葉、ヘブル語でハターとなっています。これが「的を外す」「目標に届かない」という意味になります。
 その言葉が転じて「罪を犯す」という意味になります。誰に対してか。神に対してです。それは聖であって汚れも全くない完全な神の定められた基準、それを的というなら、それに生得の「罪」を持った人間という矢ないしは石が届かない、的を外し、神から逸脱するという事です。
 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3:23)には、「受けることができず」という訳が入っていますが、それはヒュステレオーというギリシャ語で、目標や基準に届かないという意味です。上記弓矢で行けば、矢が的に届かず、海に落ちてしまうという事です。
 聖書を読んで自己に適用してみれば、いかに神の基準が高く、人間がそこに届かない、神のご意図を外して背馳しているかがよく分かります。那須与一のような人は世界に一人もいません(クリスチャンも含め)。