ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

宗教学者山折哲雄氏の勧める土葬と聖書

 2011年1月13日の朝日新聞で、宗教学者山折哲雄氏が「土葬を復活して新たな死生観築け」という題で、本格的な土葬の復活を提言していました。
 朝日の記者が取材し、山折氏が答えています。
 「復活させる」という事ですから、明治時代以前は土葬が主流でした。昭和の時代でも地方によっては土葬はまだ行なわれていたのではないかと思います。
 それが重油を燃料として火葬場で死体を焼くという方式になり、現代に至っているわけですから、それが当然視されていたのは自然な事です。
 しかしここに来て樹木葬(例えば千葉県いすみ市天徳寺で実施)や海への散骨などが行なわれるようになり、火葬のみという事はなくなりました。
 この流れの中での山折氏の提言でしたが、土葬を全く知らない記者は最初「ギョッとした」そうで、いろいろ突っ込んで尋ねています。
 山折氏は人生80年という時代で、日本人の死生観が揺らいでいる為、伝統的な土葬を見直し、そこで人間の生死の問題をじっくり考えてもらいたいといった主旨で話しています。
 特に氏が危惧しているのは、「死」というものが悪いもの、忌むべきものとして隠されていて、正面から向き合うことがなく、いざという時にパニックに陥ってしまうという事ではないでしょうか。精神科医で阪大教授の柏木先生は、「人間は生きてきたようにしか死ねない」という事を常々言っています。だからいつも生死を深く見つめながら生きてきた人なら、そのようにあわてる事なく死に直面出来るわけです。
 逆にそうではなかった人々の死に様については、札幌医大でそうした人々を多く見て来たと思われる作家の渡部淳一氏が初期の短編で、生々しく描いています。
 この土葬ですが、特に日本を除くキリスト教文化圏では普通の事になっています。
 聖書を見ますと、神である主は「土地のちりで人を形造り…」(創世2:7)とあって、地の塵から人を創造されました。堕落以前の人(アダム)は、神との交わりの中にあって、死を味わう事なくエデンの園で住まう事が出来たのですが、神のご命令を破って罪を犯したので(「罪とは律法に逆らうことなのです」ーヨハネ第一3:4)、罰として「死」が人にもたらされたのでした。神はこう言っておられます。
 「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」(創世3:19)。
 この「土」と訳された言葉は、ヘブル語アファールで「塵、灰、土地、土」といった意味があります。ですから「塵」と訳しても良いのですが、この訳で見るなら、人は糧を得る為、一生の間汗を流して働かねばならず、遂に寿命が来て、造られた土(又は土地の塵)に帰る定めとなったわけです。
 それを考えた時、土葬という伝統的な埋葬法が復活して、葬儀の時上記のみことばが頻繁に語られ、人は生まれたら必ず死んで土に帰るという事が銘記されれば良いなと思います。