ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

宮城県石巻市の釣石神社にある巨石

 2012年1月13日の朝日新聞では、上記神社の巨石と、その近くにある石段及びヨシで作った大きな輪が飾られ、受験生と見られる若者たちの写真を掲載していました。この輪を「よし合格」と祈りながらくぐると、落ちないぞという確信が得られるとの事で、急激に人気を取り戻しているそうです。

宮城県石巻市は昨年の東日本大震災で大きな被害を受けました。それは原発災害ではなく津波被害でしたが、この釣石神社からそう遠くない北上川河口付近の低地帯は壊滅状態に陥りました。それにより河の北側に位置する神社の低地にあった社務所とか鳥居は流されてしまいました。しかし地上からおよそ5メートルの崖の中腹にある巨石は、津波は勿論、地震の被害からも免れたとの事です。ちなみに北上川から遡上した津波の高さは10メートルにも達したそうです。
 この神社は1978年の宮城県沖地震でもびくともしなかったとの事です(マグニチュード7・4)。確かに画像で見ますと、崖中腹から飛び出た形になっており、「落ちそうで落ちない石」となっています。右画像の石段下から仰ぎ見ると、本当に落っこちてきそうな感じがします。そのしめ縄が張られてある巨石が男石で、その真下に横たわっている石が女石なのだそうです。2つ合わせ「陰陽神」という見事な「偶像」になりました。
 そこで神社の氏子たちは「金儲け」を考えました。構想からおよそ20年の1998年に、北上川の河岸に繁るヨシを切ってきて、直径3・5メートルの茅の輪を作って奉納しました。そしてこの落ちそうで落ちない石の隣の石段を降りる時、上記したようにこの輪を「よし合格」と祈ってくぐると、「落ちない、合格だ」という気にならせるという作戦でした。

 それは功を奏し、その後毎年のように受験生がこの釣石神社を訪れ、希望校の合格を祈願するようになりました(それまで参拝者年間100人程度だったのが、正月のはじめには5千人を越えるようになったそうです)。今度も震度6強と言われている地震から10ヶ月ほど、受験シーズンに入る為再度氏子たちがヨシを刈り集めて茅の輪を新たに作ったわけです。それが朝日で報じられました。大震災後だけに今年はもっと多くの参拝客が出たと思われます。その商魂のたくましさには驚くばかりです。
 ところで聖書にもこうした要となる「巨石」は登場します。
 「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」(詩118:22−24)。
 「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない」(イザヤ28:16)。
 これらはいずれも旧約聖書の預言であり、捨てた石も礎の石もかしら石も、実は新約における救い主イエス・キリストを指しています。家を建てる者たちはユダヤ人の祭司長・学者・パリサイ人と言われる人々であり、捨てた石、つまり十字架に釘付けされた無価値な者こそ、彼らに不都合なキリストの事でした。キリストはその試みで死なれました。しかし三日目に甦られました。それが主なる神の設けられた日、つまり日曜日でした。私たちはそれを聖日とし、礼拝をして心から主をほめたたえる喜びの日としています。キリストは天に戻り、今神の右の座におられる尊い方です。その御座は堅く据えられています。
 ですからこのキリストの死、埋葬、甦りという福音を信じる者は救われ、その堅固な土台の上に据えられますから、何事にも決してあわてる事がないのです。
 そしてキリストご自身この箇所に言及した後、こう言っておられます、「また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます」(マタイ21:44)。
 これは上記祭司長・学者・パリサイ人らへの言及ですが、キリストを悪く言う未信徒にも適用されます。釣石が落ちたらひとたまりもありません。受験生は神社ではなく、教会に来て「かしら石」に救われ、会員全員に合格を祈ってもらうべきではないですか。それがみこころなら必ず合格します!10浪してから真剣に教会に通い、難関の医学部に合格した人だっているのですから。