ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

岩手県平泉毛越寺庭園の池にある傾いた岩「立石」が倒れる?

 2011年6月29日の朝日新聞は、岩手県平泉町の平泉・毛越寺(もうつうじ)の庭園の池にある傾いた岩「立岩」が、東日本大震災の影響でさらに傾きを増し、このままでは倒れえしまうので、応急措置を施した事を報じていました。この岩は世界遺産に登録されているそうです。朝日の写真では震災前と震災後の立石を比較して並べています。グーグルの写真で見ますと、それが傾いている事が良く分かります。

 この岩のある池の名前は「大泉が池」と言うそうです。ネットで調べて見ますと、広い池の真ん中というほどには位置していません。
 確かに平泉と言えば「中尊寺」という位こちらの方が有名ですが、毛越寺も火災で失われる前は中尊寺に劣らず繁栄していたそうです。今は土壇と礎石だけを残しています。平安時代の浄土式庭園(仏の世界を地上に表現したと伝わる=朝日記事)との事で、立派な木立に囲まれた大泉が池は美しく、閑静のようです。旅に出てこうした所でゆっくり休んでみたいような気がします。東北の観光復活の為にも是非行ってみよう!
 ところでこの立石ですが、朝日によると高さおよそ2メートル、傾きがあるのは800余年前にそうした形で立てられたからだそうです。そして水際からこの岩のところまでは、荒波が打ち寄せる磯を表しているとの事です。それは荒波が押し寄せ傾いていても、倒れないという事を意味しているのでしょうか。
 面白い発想ですが、さすがに今度の大震災では、石の基の地盤に緩みが生じたのか、相当な傾きになってしまいました。世界遺産であるからには、元の傾きまで復元する必要がありそうですが、役所が関わる仕事ですからまだ先の事になりそうです。
 そんな事を考えながら浮かんで来るのは、聖書でも頻繁に出て来る岩・石の事です。ペテロ第一の手紙2章に詳しく出て来ます。2:4にこうあります。
 「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です」。
 つまり私たちの救い主イエス・キリストが石に譬えられています。そして2:6−8にはこうあります。
 「なぜなら、聖書にこうあるからです。『見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。』したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、『家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった。』のであって、『つまずきの石、妨げの岩。』なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです」。
 つまりこの岩は、詩篇作者が「神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない」と証するように、磐石のもの、真っ直ぐ立っているもの、それに頼れば揺るがされる事のないものです。キリストはそのような方です。しかし逆らう世の人々にとっては障害となります。その時はキリストは妨げの岩となり、毛越寺に残っている礎石につまずくように、つまづいて倒れます。大震災と立石のさらなる傾きからこんな事を考えて見るのは如何ですか。