ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

飯館村の現状

 飯館村については既に2011年6月20日のブログ(http://d.hatena.ne.jp/hatehei666/comment?date=20110620)で触れました。
 中心は福島原発から北西約40キロのところにあり、事故当時はまさか放射能ホットスポット(30キロ圏に南部の一部がかかり、北に延びています)になったとは誰も考えなかったでしょう。

 それは3月14日の事で、原発3号機が爆発した後、風に乗り、また雨と雪によって放射能を撒き散らしました。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(スピーディ)は、既に放射能の拡散を把握していましたが、公表しなかった為多くの村民が被曝しました。その放射能の風向きは次に南西部に向かい、千葉の柏、流山、松戸などにホットスポットを作りました。ちょうど松戸で発掘中の私もかなり浴びたはずです。
 こうして飯館村計画的避難区域に指定され(この方向では川俣町の一部や葛尾村も)、約1700所帯6200人が集団避難しました。それは2011年5月15日の事で、それから1年経過し、朝日新聞では16日に現状を伝える記事を載せていました。
 図を見ても分かりますが、飯館村の面積のほぼ半分近くに達し、年間積算放射線量が20ミリシーベルトを超えます(*一般の人の許容量は1ミリシーベルト以下と言われています)。
 千葉悦子・松野光伸共著『飯館村は負けない』を読みますと、この美しい農村の歴史を辿り、また被災後の詳しい話し合いの様子などが記されています。
 市町村合併問題から始まり、有名な「までい」(=手間ひまを惜しまず、丁寧に、時間をかけて、心を込めてといった意味)という方言を前面に掲げたまでいライフに真剣に取り組んで来ました。それが被災で駄目になり、人々は福島県内をはじめ、北海道や京都までにも避難し、バラバラになってしまいました。
 菅野典雄村長は徹底した土壌の汚染除去を行い、避難生活は2年くらいで戻り、村の復興計画を実施するつもりでいました。しかしこの除染は国が消極的で少しも進んでいません。ですから農業の再生は難しく、若い人々を主体に帰村を諦めかけているのが実情です。
 この除染工程案では菅野村長自身に対する批判も出て、村民の意見は割れ、不安や怒りが募っています。
 「負げねど飯館」という標語も、放射能という力の前には負けてしまいます。
 私は飯館がかつてのような美しい農村を復活させるのは不可能だと考えます。原発事故が全然終息しておらず、放射能の管理体制も駄目だし、実際出来るわけがないからです。
 故郷を捨てて新たな住まいで生活が出来るよう、国や東電に責任をとってもらう他ないと思います。
 聖書では一度廃墟となったシオン(エルサレムのある丘の名ですが、イスラエル全体をも指しています)に人々が戻り、いつかそこが全世界の信徒の故郷となる事が約束されています。信徒はこの世では旅人、寄留者ですが、それぞれの故郷よりもさらに優れた故郷を求めています。
 「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました」(ヘブル11:16)。
 飯館は廃村になりそうですが(他人ごとではなく、私も心底怒っています)、少しでも多くの人が優れた天の故郷を慕う事を望みます。