ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

アメリカにおける貧困と教育の繋がり

 2012年8月29日の米国ハフポストサイト(http://www.huffingtonpost.com/howard-steven-friedman/americas-poverty-education_b_1826000.html)では、上記の題でハワード・スティーブン・フリードマンという人が記事を書いていました。氏はコロンビア大学統計学と経済学を教えています。
 教授は冒頭の箇所で「貧困と教育は密接な繋がりがあるが、教育そのものは社会的流動性の基本的手段であって、貧困家庭で生まれた人々が社会で出世する事を可能にする」と述べています。ここで社会的流動性という言葉ですが、「低所得者高所得者)は何世代にもわたって低所得者高所得者)という社会は、「流動性が低い社会」と言います。逆に、低所得者高所得者)が高所得者低所得者)になりやすい社会は、「流動性が高い社会」という言い方をします」とネットに出ていました。そして上記の繋がりの強力な証拠として、低所得の家族で育った46パーセントの米国人は、大学の学位も取得できず、最低所得の5分位点(*家庭取得を5等分して、最も低い所得から最も高いものまで、例えばグラフで示した場合の所属位置)に留まりました。

 この繋がりはあらゆる教育レベルで見られました。そして最も初期段階である初等教育前から、貧しい米国人は経済的に不利な条件が始まります。例えば年収1万5千ドル以下の親の子どもは初等教育前の入学率は、年収5万ドル以上の親の子どもより、20パーセントも低くなります。後者の子どもは31パーセントも留年の可能性が低く、32パーセントも高校から脱落する可能性が低く、犯罪率も低くなります。
 米国の初等中等教育での補助金連邦政府と州からですが、州によりまちまちで、2006年以降最も貧困率の高い学校では、平均学生一人当たり千ドル以下となっています。ブッシュの落ちこぼれ防止法以来、貧困率の高い学校教師はひどい苦戦を強いられ、優秀な教師はどんどん辞めて、貧困率の低い学校に移ってしまいます。ですから貧しい生徒たちは、無資格な教師、僅かな資金、標準以下の設備しかない学校に甘んじなければなりません。
 生徒たちには国際学習到達度調査が実施され、読解力、科学、算数で比較すると、米国は平均かそれ以下に位置しています。読解力で見ると、高所得の米国人生徒の成績はあらゆる発展途上国のそれより勝っていますが、低所得ですと、途上国より「遥かに低い」という結果が出ています。
 こうした大きな格差は社会的流動性を妨げる為、大きな関心がもたれていますが、有効な解決手段はなく、大学レベルではもっと悪化していて、経済的資力の問題が、ここ数十年の間に深刻になっています。大学の授業料も途上国より高騰しています。ベルギー、フランス、オランダ、イタリア、ポルトガルスペインなどは最小限ですし、ギリシャやドイツのほとんどは、公立大学授業料はゼロです。
 機会均等の国米国はあらゆる子どもたちに、十分な教育の機会を与えるべきですが、それが出来ないまま他のいかなる富裕な国より、社会流動性が低くなってしまいました。
それは今後の日本でも見られるでしょう。いや今が現実となりつつあります。
 使徒パウロは厳格な教育を受けた、恵まれたパリサイ人の指導者の一人でしたが、救い主キリストを知って、それまでの既得権益をちりあくたとみなすようになり、次のように証してローマで処刑されました。
 「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(ピリピ4:12)。
 今貧しい境遇にあって嘆いている若い人々が、こうした聖書のことばで強められ、難局突破の秘訣を得られますように。