ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

 貧困に取り組む阿部彩さんのいう「マタイ効果」

 「持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです」(マタイ13:12)。
 子どもの貧困について岩波新書を2冊出した阿部彩さんが、それ以前に書き留めておいた『弱者の居場所がない社会』を、図書館で借りて読みました。執筆は東日本大震災が起きた頃です。
 阿部さんはマサチューセッツ工科大学卒業で、図表の読みに鋭い人です。この本にも多用されていますが、その解説は分かりやすく説得力があります。
 特に第四章で扱われている「本当はこわい格差の話」では、2009年までの厚生労働省相対的貧困率のデータが載っています。相対的貧困率とは、全国民の年間の可処分所得を少ない方から並べ、中央の金額(09年は224万円)の半分の水準(貧困線、09年は112万円)に満たない人の割合と、ネットの情報にあります。この112万円は12で割れば、当然月収10万円以下になります。私の場合現在は中央値を僅かに超えていますが、あと2年すると、年間60万円と激減します。その後の生き方を真剣に模索しています。

 阿部さんの掲載したデータは1985年以後のものですが、85年で12パーセントだったのが、2009年では16パーセントとなっています。最近のジニ係数が横ばいであるのに比べ、この相対的貧困率は「継続的に拡大し」「いっこうに縮小の兆しを見せていない」と、阿部さんは危機感を募らせています。
 なぜならリーマン・ショック(2008年9月)から5年目経過しても、経済は依然活況を見せない状況で、2011年3月の東日本大震災を迎えてしまったからです。それによって震災弱者はますます貧困化し、やみくもな復興の道を辿ると、今後相対的貧困率はいっそう大きく拡大してゆくでしょう。持てる人はますます富裕に、そうでない人はますます貧乏になってしまいます。
 その事を阿部さんは「マタイ効果」と言っています。上記した新約聖書マタイ伝から命名されたものです。勿論この箇所でイエス・キリストが言われた事は、霊的なもので、神の真の恵みを受けている信徒は、ますますキリストの知識を多く蓄え、その福音の教えを霊的に深く知れば知る程、その恵みを豊かに受けるけれども、そうでない人は真の福音の恵みに与かっていない為、うわべのみで、次第に無関心になり、遂にはその恵みを失い、救いの機会がなくなってしまう事を指しています。
 しかしこれは米国の社会学ロバート・マートンという人が命名した言葉だそうですが、宗教的分野とは異なる様々な面でも適用されています。
 例えば科学の研究者がよい成果を出すと、その人には「補助金やよい研究設備が与えられたりして…よりよい成果を出せる仕組みになっている」けれども、そうでない研究者はずっと功績をあげる事が出来ず、成果の格差は拡大して行きます。成績優秀な子どもは、先生も親も褒めて、ますます期待されるから、余計学力がつきますが、そうでないとされた子どもはますます伸びなくなり、学力格差が拡大します。野球の得意な子は、レギュラー・ポジションをすぐ与えられ、期待されて、ますますうまくなりますが、うまくない子はうまくなる機会がなかなか与えられない為、ますますそのポジションから遠ざけられます。裕福な人は、銀行に預金し、投資も出来て、金が金を生み、ますます裕福になりますが、貧困層は「貯金はおろか、借金をして利息を払わなければならない場合も」出て来ます。ますます貧困化してしまうわけです。
 また阿部さんは似たような言い回しとして、リチャード・ウイルキンソンという人の「自転車反応」を引き合いに出しています。別のネットから引用しますと「階層性の強い権威的社会では、人は上位のものに対しては自転車競技の選手のように上半身を前に傾けて頭を低く下げ、一方、(下半身はペダルを漕ぐように)下位のものを足蹴にする」という事だそうです。これも競争と格差の激しい社会なら、今日どこでも見られる現象です。不幸な事に放射能で分割された地域の人々の場合でも起こり得ます。線引きから少しでも外れた人々は補償がもらえず、もらった人々から足蹴にされ、住民同士での果てしないいがみ合いへと進んで行きます。そして至るところで社会的排除が浸透して行きます。
 社会保障の3本の柱である、社会保障、公的扶助、就労支援がうまく機能しません。格差は固定されます。
 最後部分で阿部さんは「格差を容認し…貧困と社会的排除を『社会悪』として受け入れるのか。それとも、格差に抗い、社会的包摂を目指すのか。その選択の瀬戸際に来ている」と言って閉じています。全く同感です。