ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

怒る事と聖書の教え

 2012年8月18日の朝品新聞では、「年をとると短気になると思う?」という題でアンケート調査が行われた結果が載っていました。
 回答者3519人のうち、「はい」と答えた人の割合は39パーセント、「いいえ」と答えた人の割合は61パーセントでした。 4割の人が加齢と共に短気になっています。この「短気」を粘り強さがなく直ぐに怒ってしまうというように言い換えますと、そうはならないと答えた6割の人は、なかなかたいしたものです。その理由は「世の中こんなものだから」「人生経験を重ねた結果」「大人げないと思うから」「我慢するのが苦でなくなった」などと続きます。ただ回答者全員から意見を訊くと、現在自分は短気と答えた人は56パーセントで、その性格を変えたいと思っています。一方短気になると答えた人の理由は、「マナーやルールを守らない人が増えた」「我慢することが嫌になった」というのが突出しているようです。

 こうした問題は設問の仕方や回答の解析が割に難しいのではないかと思いますが、概して「年を取れば丸くなる」時代ではなくなっているようです。
 私も電車やバスやスーパーなど公の場所で怒鳴る中高年齢者をよく見かけるようになりました。
 同志社女子大の日下准教授によると、「老いに向かう50〜60代は、身体的、社会的にも大きな変化を迎える第2の思春期ともいえる時期。心体のバランスが崩れ、イライラが増す…」という事になります。若い層も当て嵌まるようです。
 近頃東日本大震災が生じ、対応すべき政府が機能不全状態に陥っている現在、老いも若きも怒りをぶつける不信な状態が続いているのは、むしろ自然な事だと思います。
 事実このアンケート調査で自由回答欄を設けたところ、原発再稼働や政治への怒りが相当書かれていたようです。そこで朝日記者は、「先行き不透明で余裕を失った『短気な時代』を象徴しているのだろうか」と問いかけています。
 年々私たちの常識から考えても、極めて不合理な事が露わにされて来ているのは確かです。そうした問題に無関心を装い、「世の中こんなもの」と悠長に構えているなら、むしろそのほうがおかしいのでしょう。それはアンケートにもありました。「怒りは短気と違います。間違ったことに怒りを覚えなくなったら、人間失格です」。

 聖書の神も義を重んじる方ですから、罪を犯しご自分に背いている人々への怒りを持っておられます。
 「というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです」(ローマ1:18)。
 神の御怒りはあらゆる場合において「正しいもの」です。そしてそれによって人間が悪の道から立ち返る事を期待しておられます。
 しかし罪深い人間ならどうでしょうか?
 「怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す」(箴言29:22)。
 ここでは不義の怒り、憤りが、紛争や神への背きの罪を引き起こす事を述べています。それは後に神によって罰せられます。
 しかしクリスチャンの場合、内に住む聖霊が怒りにブレーキをかけて下さいます。
 「怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ」(詩37:8)。
 「愚か者は自分の怒りをすぐ現す。利口な者ははずかしめを受けても黙っている」(箴言12:16)。
 私たちは今のこの世の理不尽さに対して、正しい怒りを持続させましょう。怒りを制御しつつです。