ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『東大闘争と原発事故』(折原浩、三宅弘、清水靖久、熊本一規共著)を読んで

 「それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコ8:34)。
*自分を捨てとありますが、英語はdeny himself、ギリシャ語のアパルネーサスソー・ヘアウトンもまさにその感じで「自己を否定し」となります。
 2013年1月16日晩千葉のあるブロガーの所へ行かれるiireiさんが松戸に寄り、初めてお会いする機会を得ました。エスニック料理店で会食しながら、話が弾みました。至福の時を持ったという感じです。
 その時貸して頂いたのが、上記の題の本です。共著者のうち熊本さんがiireiさんの東大工学部都市工学科の先輩にあたります。

 既にiireiさんが昨年12月15日に的確にこの本の書評を書いておられるので、その部分は飛ばしたいと思います。特にiireiさんも触れておられる東大闘争と原発事故との関わりについては、私も今一つ明快な答えは見いだせませんでした。
 私はこの本を読んで、最初に執筆している折原浩氏の真摯な自己との対峙、そこから出て来る自己否定と東大解体の論理が、いかに他の3氏に影響を与えたのかを知る事が出来ました。同時代の事を東大近くの大学で見聞きしながら、同じように自分とは何か?学問とは?といった問いを深めていた者として、私自身も折原氏から、そして山本義隆氏らからも大いに教えられ、それまでの人生が180度変わるような経験をしたのでした。
 年齢順から見ると、第二章を担当する清水氏は「折原のことを主に論じる」とまず述べています。「はじめに」の項で、氏は「折原が語った東大闘争の事実に衝撃を受けた」と言っています。第三章では三宅弘氏が1972年に入学して、ある演習予定の教室に行ったのが、その人生を変えたといってよいでしょう。「その演習に参加したのが、四十一年前、折原浩との出会いである」と、やはり章の冒頭近くにあって、「邂逅」という言葉がぴったりです。そして三宅氏は卒業後弁護士として、特に情報公開について法制化する為の戦いをして来ました。第四章の熊本氏は、どこで折原氏との関わりがあるのか注意深く読んでみました。すると「折原を通じて社会学に関心を持ったことから四年次には社会学科の大学院を受験した」と、意外な事実を発見しました。しかし氏は「数学がないうえに語学が重視される試験に合格するはずがなく、一年留年して都市工学科大学院に進学した」と言っています。氏にとっては残念だったでしょうが、やはり折原氏の影響は甚大なものがあり、東大大学院卒というエリート的なところはひとかけらもありません。ただの人として庶民と共生を求めつつ、畑は違っても原子力及び原子力工学科の批判を続けています。
 ですからこの本の題は、本当は『東大闘争と折原浩』くらいが適切かなと思いました。
 折原氏は大学で社会学、特にマックス・ウエーバーを教える普通の助教授でした。しかし医学部から始まった「春見事件」と大量の学生処分(*当時の医学部上田教授と学生たちの話し合いが、教授の逃走で流れ、その際春見医局員が学生に暴力をふるったにもかかわらずその事は不問にされ、教授会が退学を含む学生の処分を決めた出来事)、そして処分者の中にそこに不在だった粒良氏の名前があり、それに疑義を抱いた高橋講師らが久留米大学まで出向いてその事を立証したにもかかわらず、当時の豊川医学部長が「『疑わしきは罰せず』とは、英国法の常識で、わが東大医学部はそんな法理に支配されない」などと、トンデモ発言をした「医学部処分」に疑問を抱きました。それで折原氏自らその事件を「追試」し、欺瞞に満ちた「教育的処分」を明らかにしました。その頃から折原氏は、東大医学部の知性の退廃ぶりに憤激し、同じ頃生じた文学部の似たような事件に愛想を尽かし、徐々にこんな大学なら無いほうがよいという、「東大解体論」に至ったのです。「東大解体=自己解体」を、生真面目な折原氏は徹底的に苦渋を持って追及したのでした。イエス・キリストが弟子たちに、従いたいと願う者は、自己否定しと言われた時、弟子たちも俗世間との苦渋の訣別を選択しなければなりませんでした。否定の内容は主として律法の形式的遵守=パリサイ人的な思考を徹底的に捨て去り、キリストの如き殉教をも厭わず従ってゆくことでした。
 東大闘争はその後機動隊の導入で、徐々に「正常化」に向かいましたが、全共闘の問いに答えず、逃げ回っていた学生も嬉々として復帰していったでしょう。原子力ムラを構成する東大出身者も同じで、3・11当時原子力安全委員会委員長だった班目春樹の名前もこの本では挙がっています。
 折原氏の書いたもの、残念ながら引っ越しの連続の中で散逸してしまいました。ウイキペデイアにその著書が載っています。残念ながらそれらの中に絶版となった本、図書館にもない本があります。『大学の頽廃の淵にて 東大闘争における一教師の歩み』などを古書店から探して購入するという手もあります。
 とにかく一度、この大変真面目な自己・自他の追及をした4氏の共著を読んでみて下さい。貸して頂いたiireiさんには心より感謝致します。