ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

マスコミは橋本治氏の謳い文句に深く言及しない

「生きているものは、少なくとも知っている/自分はやがて死ぬ、ということを。しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく/彼らの名は忘れられる(伝道者の書9:5)

 この書で伝道者は盛んに虚しいという事を強調するが、新約に入ると、信仰者に豊かな報いがあり、空の星のように輝き続け、忘れ去られないという事がよく分かる。

 19年1月30日の新聞の死亡欄を見て、橋本治氏の死去を知り、えっと思った。まだ70歳、肺炎が原因というが、何か別の病があっての事だと思ったら、案の定癌だった。

 別に接点があったわけではない。都立高校では私の妹の1年下、私自身その高校に入るものだと思っていた時期があった。東京都杉並区生まれも同じ。身近な存在だった。

 しかし初めてその名を知ったのは、68年東大闘争の頃だった。駒場祭のポスターに「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」という謳い文句のものがあり、彼の名はそれで有名になった。

 全共闘に対してどういう姿勢だったかは、あまりよく知らない。東大に入った瞬間、「ここは自分の来るところじゃない」と思ったそうだから、当時のパリサイ人的な東大の教授らの対応に愛想が尽きていたのではなかったか。

 私はその近くの大学で過ごしていたので、東大闘争の情報は豊富にあった。確か医学部の青年医師連合が問題提起し、燎原の火の如く学内に広がったと記憶している。

 有名な自己否定の論理は、後に私が信仰を持つ為のきっかけとなった。

 この謳い文句は当時の闘争に入った東大生と、その母親との関係をよく表現している。闘争に深入りしてその意志を貫こうとする学生らと、学歴を重んじそれを止めようとする母親との葛藤を、実にうまく表現したものと受け止めた。ネットではこれについての深い言及はほとんど無い。

 私は東大の権化のような法学部の学生が、よく闘争に加わったなと感心していたが、安田講堂の落城と共に、というかその前から「正常化」に向けて、共産党系の民青などと連携して切り崩していた。彼らの転向はいち早かったと記憶している。何度も聖書から引用するが、「塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか」(ルカ14:28)とあるような、細かい計算をして加わったのかという疑問がある。何かの節目に決断するのは、相当な勇気が要る。信仰がそうだ。

 以後私は一風変わった評論活動をする橋本氏の本をよく読んだ。『桃尻語訳 枕草子』を読んで、日本語の語学力は中途半端でないと思った。とにかく時代の趨勢に対して、いつも斜めに構えて発言していた。

 山本義隆という元東大全共闘の議長だった人がいる。『福島の原発事故をめぐって』という本を書いた時、私は買って貪り読んだ。しかし山形浩生という評論家は、この本は買って読む価値はないと酷評した。橋本治氏との対談がネットに載っていたが、橋本氏の鋭い質問にたじたじという印象だった。「さばいてはいけません。さばかれないためです。 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです』(マタイ7:1-2)を思い出した。

 その後の橋本氏とは、聖書の教えと相容れないところがあって離れたが、それでも彼の思考は天才的だったと思っている。橋本氏の死亡を受けて、もう一度読んでみたい本はたくさんある。