ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『3・11と心の災害』(蟻塚亮二・須藤康宏共著)から学んだ事

 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12:15)。
 この本は2016年6月20日発行という最新のものです。だからこそ5年半経過して分かって来た事が詳しく載っており、従来のものとは違って大変貴重だと思います。
 蟻塚精神医はAO153さんの住む相馬市のメンタルクリニックなごみ院長、須藤氏は臨床心理士などの資格を持ち、同じクリニックの副委員長をしています。
 福島県相馬市は高さ9メートルという巨大津波と、複数回の地震があり、死者460名ほどを出しています。3・11から現在に至るまでの記録は詳述されていて、しっかり残っていますから、それだけでも貴重なものです。

 蟻塚医師は、原発事故当時南相馬市小高区の病院で勤務しており、そこはおよそ原発20キロ圏で、当然避難指示となるので、まず隣接の区、そして福島市に移動、次いで南会津市へと移りました。また東京都
内でも患者さんを受け入れてくれたので、ひとまず避難完了となりました。しかしそうした慌しい時、相馬市から大変な事になっている、是非来て欲しいという依頼がありました。その為震災で医療体制が崩壊していたので、新たにメンタルクリニックなごみと相馬広域こころのケアセンターなごみを、3・11からちょうど1年経て開設しました。この本はそうした5年間の苦闘の記録で、精神科に訪れた患者さんの、これまでとは違った反応に対する省察で、数少ないけれども重要な点が多く指摘されています。
 まず(福島の)震災は、地震津波原発による被害に留まらず、「個と集団と、近所づきあいと職場と地域における対人関係を破壊する」と言っています。狭い仮設での生活は対人関係の距離を縮め、子ども、夫、姑、同居の親戚たちとの対立を引き起こし、自殺や関連死をもたらしました。原発事故では避難先を何回か転々とする中で、新しい集団や人に溶け込む努力を強いられ、トラウマ(=大きな精神的ショックや恐怖が原因で起きる心の傷)が発生しやすくなりました。
 ここで蟻塚医師は早大の心身医学者辻内琢也氏の言葉を引用しています。辻内氏は神戸の震災と比較しながら、心的外傷後ストレス障害(=PTSD)が、原発避難者の4割にも上り、神戸の1割より著しく高く、原発避難者の精神的苦痛は、過去の日本のどの災害よりも高い」という結果を出しました。それを受けて蟻塚医師は「原発避難者は…帰る土地と生業を失った難民状態にあるせいではないだろうか」と推察しています。ですから彼らについては、従来とは異なる支援が必要だと訴えています。
 さらに蟻塚医師はフロイトの「悲哀の仕事」を引用していますが、私なりに纏めると、「挫折や失敗や喪失や障害を宣告された人は、最初降ってわいたような事態にショックを受ける。次いで、まさかそんな筈はないと何度も否認し、しかし認めざるを得ない事態だと悟って、事の重大さを見ては悲しみに暮れる。そんな過程を何度も行き来して、ついに苦しい事だが、それらを受容し、再び生きようという決意に至る」。
 ところがです。東電と国に目を向けると、「事故を事故として受け入れ、原発事故によって引き起こされたことのすべてを東電と国が謝罪して清算かつ賠償しようとするなら、福島の人たちは原発事故によってもたらされた不幸を悲しむことができ、そして受け入れて再スタートを切ることができる。今は、誰よりも責任を感じてウツになるべき東電がウツにならないで、末端・現場の住民が苦悩してウツになっている。これが福島の原発事故の基本構造である。東電自体が事故と向き合うことを避け続けているので、福島は震災直後の『衝撃と混乱期』にとどまり続けており、同時に、いつになったら故郷に帰れるかのめどのつかない『幻滅期』に移行している」。これが蟻塚氏の言わんとする事の真骨頂ではないでしょうか?
 悲しい時に悲しめないと、震災の痛手に加えて新たに不眠やPTSDやうつ病などを抱え込むことになりますし、人が悲しむ為には、悲しみを受け止めてくれる人がいないと、喪失体験を抱えた人はただ消耗していくだけになってしまいます。蟻塚医師はこの構図に憤激してこう述べました。原発事故を起こした政府と東電は、事故を事故として認めず、被災者とともに悲しもうとしない。事故の被災者はただあいまいな悲しみのなかに留め置かれて、謝罪によって心を晴らすこともない。そして加害者は、福島の事故と放射能は『アンダーコントロール』だから問題ないと世界中に嘘を言ってオリンピックをやるという。原発事故の加害者と被害者のこの乖離はなんだ?しかしこれが日本だ」。
 震災の時保育園児だった子どもたちの心の傷も多様で、「トイレやふろに戸を開いたままでないとはいれない」などの問題はまだ持続しており、蟻塚医師は衝撃を受けています。「何も言わない幼い子どもたちの心のなかで、震災の体験は確実にトラウマ記憶として刻印され、静かに、その存在を発信し続けていたのだ」。
 避難民でありモノ申す大人たちの悩みもひどく深刻で、被災していない同じ県人、他県の心無い人々、さらには国や県が彼らを抹殺しようとする「淘汰圧」が働いているように、私には見えます。
 「彼らは故郷を離れて、それだけでも心に穴が開き『宙ぶらりんな心』を意識しているのに、『フクシマだから』とか、『原発の補償金をもらっているんだろう』とか、思ってもみない言葉が飛んできて傷つく。心に穴が開いて避難してきた人たちが、言葉も空気も寒暖も歩く人々もちがう土地で、また傷つく…そのような地元民からのやっかみやひんしゅくは、避難者への悪評となってたちまち広がる。そして避難者の一人一人に烙印として作用する…原発事故により故郷を離れ、『これから先がみえない』『自分のよりどころはどこか分からない』人たち。そんな人たちに向けられる、スティグマ(*烙印)という悪意をこめたレッテル貼りにより、人々は傷つき、相手の言葉に押し黙り、何を言われてもあきらめと無力感に襲われる。他人のなかで自分の意見を言うことが怖くなる。やっとこの町にたどり着いたのに、この町の人々と仲良くなれない自分を感じるようになる…ときに県外に避難して生活する人にとって、『福島』という言葉は自分が否定されるときの口実となった。すると『フクシマ』という言葉はスティグマとなって人々を刺す。『フクシマだから』というスティグマに直撃された当人たちは、まるで自分が悪いことでもしたかのように沈黙するか、避難者であることを隠して生きる」。
 このトラウマによる心身の症状のうち、新しく学んだのが「過覚醒不眠」と「遅発性PTSD」です。前者は「眠りが深く進んでいくはずなのに、『起きろ、眠るな』と睡眠を妨害するトラウマ刺激によって、睡眠が中断するタイプの睡眠障害である」。後者は「震災から2年、3年と経過したころから、復興に向かって前進する人と、取り残される人との間に徐々に格差が生じてきた…仮設住宅から災害復興住宅や新築物件へ移る被災者が増えているが、総じて喜ばしいことではあるのだが、それまでつながっていた支援が途切れてしまうことも少なくない…復興へ向かう過程で、新しい環境に身を移すタイミングで(遅発性PTSDが)発症するケースが見られている」。全てはこれからです。
 原発被災者のトラウマ記憶は収束するどころか、まさに現在進行形です。避難中の彼らに対する暖かい見守りを、この本を通して続けて頂けたらと思います。ちなみに私が通っている教会の大半は、原発付近から避難して来た信徒たちです。想像も出来ないような辛い経験を幾度も伺っていますが、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」(詩46:1)により、心の平安を得ている人がほとんどです。