ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

回復するちからー震災という逆境からのレジリエンス(熊谷一朗著)を読んで

 「あなたは、長い旅に疲れても、「あきらめた」とは言わなかった。あなたは元気を回復し、弱らなかった」(イザヤ57:10)。
 この頃図書館で最近発刊された大震災後の文学とかルポを検索していて、何だか全然引っかからない変だな、復興の大合唱のもと、その否定的な内容のある本は納入したくなったのかなと思っていました。
 そうしたら、やっと上記の本を借りる事が出来、久しぶりじっくり考える機会を得ました。
 熊谷氏はいわき市平にあるいわきたいら心療内科のクリニック院長をしている医者です。題にあるレジリエンスは回復という意味です。たまにアリオスというホールに音楽を聴きに行きますが、その途中西側を行くと見つかります。熊さんの愛称で知られ、本書を読んでも分かりますが、粘り強い傾聴を得意とする、ひげを生やした優しそうな先生です(http://iwakitaira.com/profile)。
 刊行は2016年ですが、扱っているのはだいたい2015年までの患者です。あの大震災で心を病んだ人が匿名で少し修飾されて登場しています。8章まであり、7章までがレジリエンスを得た個々の患者の事例、8章は熊さんによる、いわきから国道6号沿いに広野町から浪江町に至る状況の視察と考察(さらに川内村までも)となっています。8章の延長上に以後の私の視察がある感じです。
 1章は「生命の喪失」です。帰還困難区域の海辺で津波に遭い、妻と生後10ヶ月の子を失った21歳の若者の話です。死者との交流を続けつつ、「あの時こうだったら」という思いが、自分を責め、他人を責めるという事はよくあります。三回忌の頃まで彼に対する熊さんの傾聴が続き、彼は次第に心の状態を回復してゆきます。その後帰還困難区域にあるアパートを訪れ、妻子との止った時間を取り戻そう…と思いきや、泥棒が徹底的に部屋を破壊し尽くしていたという笑えない話でした。喪失感からの回復は、自分の事を考えて見ても、長い時間がかかります。数年から数十年、人によってまちまちです。
 2章は「誇りの喪失」です。東電で働き、原発事故後いわき市の仮設に妻子と避難していた人の話です。順風満帆、原子力の高い技術をこの上もなく誇りにしていたのに、事故が起きてしまいました。40日間無我夢中で働き、休む暇もありませんでした。世間では彼を含め悪者扱いしています。仮設住宅では隠微な嫌がらせや差別が続き、遂に彼はうつ病を引き起こし、入水自殺を試みるまでに追い詰められました。熊さんは憤ります。「こうして身を粉にして働いている生真面目な社員が、どうして苦しみ続けなければならないのか。仮に会社としての落ち度があったとしても、社員ひとりひとりの人格やまして家族まで否定される謂れはあるのだろうか」。まず身体を休めてとの勧めに対しても、休む事に罪悪感を感じて、自分を責め続けます。熊さんは執拗に休養を迫り、彼は初めて半年間の休暇をとりました。それは効果を奏し、元の職場に復帰出来るほど回復しました。廃炉に向けて真面目に取り組んでいます。これを「地でゆく」という表現がぴったりの元東電技術者が身近にいます。違ったのは周囲に多くの親しい教会員が居て、いち早くがっしり受け止め支えてくれた事でしょうか。
 3章は「故郷の喪失」です。放射能の為に古里を追われ、仮設住宅に一人で住む初老の女性の話です。避難生活で起きた幻臭、妄想反応でした。それも熊さんの粘り強い傾聴で良い方向に向かっていました。ところがです。彼女は唐突に自殺を企てたのです。これは読む私も衝撃を受けました。心の病む方との会話が弾むと、いい感じだなと思いますが、いつかまた悪い状態に逆戻りしてしまいます。何度もがっかりします。熊さんは「多少なりともエネルギーが戻り、現実に向き合えるようになると、逆に現実が見えてしまうから危険なのだ」と考えます。追われた故郷には、帰還困難で戻れない、こうした現実を直視出来るようになると、二度と事故以前の生業が戻らないという絶望感から、自殺志向に至ってしまいます。安易な治療、安易な思考では悲劇を招くだけで、絶対避けねばなりません。私も肝に銘じました。
 4章は「破局からの回復」です。登場したのは初老の男性で、津波に飲まれ奇跡的に助かりました。あまりの衝撃と、愛する妻を自宅ごと津波で失うという過酷な現実に直面し、到底その事実を受容出来ず、無表情・無反応になってしまいました。顛末は書かれていないので分かりませんが、熊さんの傾聴で「彼の生命は生きる感覚を取り戻している。いまはそれで十分とさえ思えてくる」という認識に至っています。これも大切だなあと思いました。
 5章は「緘黙する少女」です。震災に関連した脅迫症状が出ています。手洗いという形で。彼女は小学校4年で津波に遭い、かろうじて逃れたものの、6年生になってから急に不登校になってしまいました。熊さんの問いかけにも、臨床心理士が提供した人形を用いての問いかけにも緘黙し続けます。ある日母親が持参したノートには、びっしりと「死ね死ね死ね…」の文字だけが書き込まれています。それは熊さんが問いかけるきっかけとなりました。あの津波の時何があったのか?熊さんは糸口を模索しています。そんな時彼女がカウンセリング室で失神してしまいました。回復すると彼女は「ごめんなさい、ごめんなさい…」と何度も繰り返し叫びます。しかしその後です。まるで人格が変わったかのように、彼女の口から「お前が殺したんだろ…お前だよ。お前。お前なんか死ねばいい」といったぞんざいな言葉が飛び出しました。その応答で熊さんも必死です。罵詈雑言にも屈せず、問い続けました。その時初めて少女の口から真相が明らかになって来ます。彼女は津波の時、目の前で流されてゆく男の子の顔を見てしまいました。しかし手を差し伸べる事が出来ず、自分だけ山のほうへ逃げてしまいました。だから「こいつはとんだ卑怯者なんだ。生きる資格なんてないんだよ」と、自分を責め続けて来たのです。死ねとはこの少女自身の事でした。熊さんは必死に「君はただ生きてゆけばよい。生きているだけでよい。目の前で起こった理不尽な現実を、いまこうやってようやく受けとめつつあるのだから」と説き続けます。すると突然彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ」ました。熊さんも涙が伝わります。それから少女はゆっくり回復過程に向いました。熊さんはよくやった!私も感動して涙が止りませんでした。
 6章は「逆境からの脱出」です。高校中退のある男子です。原発災害で富岡町夜ノ森から強制的に避難させられ、その避難先でパニックの為、放射線測定器を手放す事が出来なくなりました。毎日毎日空間線量の推移をノートにびっしり書き込んでいました。放射性物質半減期も全て正確に記憶しています。また被災地域の市町村の名称も詳しく頭の中に入れていて、それらを熊さんの問いかけに応じる事なく、ぶつぶつと繰り返しています。私の周辺にもそうした測定器を持ち、食品の測定値を測り、福島のものは一切買わないという人がいます。私はべつにそれは病的ではないと思っています。彼は鉄道関係も詳しく、時刻表を眺めては避難先のいわきを中心とした常磐線、いや千代田線に至るまでの全ての駅名を順序通り正確に覚えています。それぞれの場での被ばく線量まで正確に言えます。まだ回復過程に至っていませんが、いつか熊さんは彼と共に全線開通の常磐線を共に乗ってみたいと願っています。
 最後に7章「不登校の少年」です。サッカーで有名なJビレッジの近くに住み、サッカーを愛し、原発事故で避難を余儀なくされ、転々としていわきに来てから不登校になってしまった少年です。いじめには遭わなくて幸いでしたが、私の周辺では原発事故で避難して来た事が分かり、陰湿ないじめに遭った少年少女は一杯います。これは大人の世界でもそうでした。原発事故を契機としなくても、いじめは今も厳然と存在する極めて罪深い問題です。熊さんはこのサッカー好きな少年との対話を続けます。父〔実父ではない)もサッカー好き、少年はこの父を愛しています。熊さんの勧めにより、不登校で暮らしている仮設住宅では望めないサッカーを続ける為、学ぶ意欲を出し、いわき市の高校受験にまで至り、見事合格します。この7章は熊さんと少年との間の、実にさわやかなレジリエンス過程が描かれていました。
 震災は多くの人々の心を裂き、心の病を発症させてきました。そうした事例の一端をこの本を通して知る事が出来ました。同じいわき市にこんな素敵な心療内科医師がいるのかと、嬉しい気分になりました。なかなかこうした本を見かけないだけに、書いて下さった熊ドクターに心から拍手し、この著作を震災に関心を持ち続ける多くの読者に読んで欲しいと思いました。強く推薦します。繰り返し読めば、「レジリエンス」という単語の意味も、しっかり覚えられますよ。