会堂にいたユダヤ教徒の襲撃
「兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり」(ローマ11:25)
トランプ大統領のアメリカで10月29日に起きた銃乱射事件は、改めてユダヤ人と異邦人の関係を考えさせられた。
事もあろうに、ユダヤ人の会堂(シナゴグ)で行事を行っていた彼らに、白人至上主義者が侵入し、銃を向けて11人を殺害したのだ。
再度ユダヤ人問題を考えて見る。遠い昔彼らはユダヤの地で主なる神に背く大きな罪を犯し、分裂した北イスラエル王国と南ユダ王国は、異邦人の国によって滅ぼされ、離散ユダヤ人となってしまった。
そして新約聖書の時代になり、救い主イエス・キリストがこの世に来られると、ユダヤ人の相当数がこの福音を頑固に拒否した。その為神は怒って救いの対象を異邦人に広げられた。現在異邦人の教会が主体となり、福音の伝道を全世界に展開している。その伝道の初期、イスラエルに戻っていたユダヤ人、離散して夫々の国に留まっていたユダヤ人たちが、異邦人の教会を迫害していた。迫害の先頭に立っていたパウロは、復活のイエス・キリストと出会い、劇的に回心した。そして今度は異邦人への福音の伝道で先頭に立った。その為福音を信じないユダヤ人たちは、このパウロをも殺してしまおうと画策したのである。
上記聖書箇所の「異邦人の完成」とは、異邦人の救いが一杯に満ちるまでという事だ。
一方ユダヤ人は離散先でおとなしく暮らしているように見える。しかしイスラエルでは違う。1948年の建国宣言の時から、そこに住んでいたパレスチナ人を迫害し、今日に至っている。キリストの福音を信じているイスラエルのユダヤ人はごく少数である。
その後終末が来て神の選びの民ユダヤ人は全て信じなかった罪を悔い改め、異邦人と共に世々限りなく共生するようになる。
さて米国の白人だが、彼らは白人こそ最も優れた人種であるという、根強い盲目の信仰を抱いている。この「人種」という差別化が、ダーウインの進化論に基づいてなされて来た思想である。これはいわゆる福音(=イエス・キリストが来られたという良い知らせ)とは全く無縁である。彼らは信仰者ではない。銃を乱射した犯人は「(ユダヤ人)は白人の敵だ」と言ったそうだが、この言葉だけで、彼らが信徒でない事はすぐ分かる。
有名な山上の説教でキリストは「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:43,44)と言われた。また「そこで、イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです」(マタイ22:37−39)ともある。
この山上の説教の実践ほど難しい事はない。しかしキリストは敵への愛を説き、武力ではなく祈りをもって平和な解決を勧められたのだ。
これは白人を自称し、生存競争、自然淘汰を標榜する米国人には全く受け入れられない事だ。また信徒と称する皮膚の白い米国人でも根強い偏見があり、概して同じ教会で皮膚の黒い信徒と共に礼拝しない。皆同じ異邦人なのに。
だから米国南部の保守派で、報道などでは「福音派」と呼ばれる人々には良く注意したほうがよい。特にイスラエルを擁護する人々は間違っている。福音を信じない彼らを支えようとするのは、自己矛盾である。そうではなくて、彼らの救いの為に祈り、愛の手を差し出すのが、真のクリスチャンなのである。
こうした未信徒の白人が増えれば増えるほど、真の福音派は減り、ますます米国は不幸になる。改めてそんな事を整理してみた。間違ったところがあれば赦して欲しい。土台は聖書のキリストのみである。