ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

公文書の紛失と永遠に残るもの

 「 王が、あの巻き物、バルクがエレミヤの口述で書きしるしたことばを焼いて後、エレミヤに次のような【主】のことばがあった。『あなたは再びもう一つの巻き物を取り、ユダの王エホヤキムが焼いた先の巻き物にあった先のことばを残らず、それに書きしるせ』」(エレミヤ36:27、28)。
 ユダの王エホヤキムは、主なる神がエレミヤを通して語られた聖書の巻き物を焼いてしまった。中国における焚書坑儒ユダヤ版である。
 しかし「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:8)とある。神のことば即ち聖書は永遠に変わらず保たれる。人間が幾ら抹消しようとしても無駄である。それどころか王エホヤキムはその企ての為に、主から重い刑罰を受ける事になった「彼のしかばねは捨てられて、昼は暑さに、夜は寒さにさらされる」。
 安倍政権のもとで、公文書の隠ぺい、改ざん、ねつ造がなされた事は疑いの余地がない。敗戦直後不都合な公文書が焼き捨てられたという出来事があったが、それ以来の悪質な行為だと言われている。当然政権トップの長はエホヤキムと同じ定めに遭う。「主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます」(コリント第一4:5)。誰も悪質な行為の責任を逃れ、その裁きを逃れる事は出来ないのだ。
 一方あの東日本大震災から7年10ヶ月になろうとしている。当時無数の記録文書や映像が作成され、皆がそれらに目を奪われていた。
 しかしそれらを全て残す事は不可能である。だからあの時こんなエピソードがあったと僅かに記憶していたものを、再度調べる為ネットで検索しても、もう消えてしまっている事が多い。
 今年2月の河北新報サイトを見ると、岩手・宮城・福島3県の沿岸37市町村のうち、半数近い16市町村が震災関連文書について、全量保存といった特別な措置を講じていないことが判明した。人の手によって、特定な目的で(賠償問題が主眼)、選択的保存がされている。いわき市楢葉町も文書の一部だけだ。
 さすが原発被災地のうち、最も深刻だった南相馬市浪江町双葉町大熊町富岡町は、全量保存を決めている。原発事故がいかに悲惨なものか、それらの市や町の資料は、後の世代に語ってくれるだろう。
 福音書の1つであるヨハネ伝を書いたヨハネは、「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う」ヨハネ21:25)と言っている。イエスに一番近かった弟子がそう告白している。
 従って全世界のあらゆる出来事のうち、必要不可欠なものがそこに凝縮され、いつまでも保たれている。
 聖書のことばは、永遠に残る。世界中の人々が今もその言葉の中から、貴重な教訓を得ている。心のビタミンとなっている。人間の目からすると、まことに不思議な事である。