ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

動脈血酸素飽和度

「彼の口のことばは不法と欺き。思慮深くあろうともせず善を行おうともしない。彼は寝床で不法を謀り良くない道に堅く立ち悪を捨てようとしない」(詩36:3)。

昨年から今年にかけて、白内障手術(昨年7月)、原因不明の下血(今年2月)、前立腺肥大手術(今年5月)と、立て続けに入院手術する羽目になった。

前立腺肥大手術後は、1カ月ほど養生する事になっているので、まだそこに至っていないが、まず順調な経過ではあると思う。そもそも高カリウム血症で、値の高いカリウムは心臓を直撃しやすいから、とかかりつけ医に脅されて来たし、初めて行った泌尿器科では最初から膀胱の尿貯留率が高過ぎ、遅かれ早かれ尿漏れの原因になるから、と再三手術を勧められて来た。上記下血の時の検査では、腎臓の腎盂水腎症を発症させている事を初めて知った。それで尿の流れが滞り、カリウムの高い数値の原因になっているのかもしれないと思い、手術に踏み切った次第である。

しかし意見は分かれるかもしれないが、今思うに創造主が精巧に造られた人体にメスを入れる事は、まさに「侵襲」であり、いよいよ薬が駄目になってから決断すべきだった。失ったものは多く、後悔先に立たずである。しかしどの選択が正解なのかと問えば、答えは一つではないだろう。

それはとにかく、白内障の1日入院を除けば、2回とも一週間の入院だった。コロナ禍の渦中だから、ずいぶん気を使った。

そこで気が付いたのは、ベッドで血圧測定の際に、パルスオキシメーターという動脈血酸素飽和度測定機器も同時に使用され、手の指に挿入され測定された事である。それは瞬間的なものであり、常に95パーセント位の数値だった。

この機器は実は18年前母親が亡くなる少し前、僕が看護師に教わり使っていた。やはり90パーセントを上回っていたから、だいたい誰でも測定すればそんな値だろうと思っていた。

考えが変わったのは、医者でありながら、『白い巨塔』のようなリアルな文学作品を世に送り出している海堂尊氏の『コロナ黙示録』を読んでからだ。

猛威を振るうコロナに対する失策は、前政権から始まっていたが、その頃同時に進行していた不祥事がコロナ絡みで登場するし、仮名を使っているが誰とすぐ分かる人物が登場し、それなりに穿った見方だとは思った。

しかし終盤ではむしろその政権の余りのひどさの解明に固執して、出だしで見せた医者ならではのストーリーがやや尻切れ蜻蛉になったきらいがある。

何よりクルーズ船より下りた感染者と接触した観光バスの運転手が、大曾根という医者に感染させ、さらに彼の濃厚接触者である医者速水を自主隔離させてしまう、その連鎖の怖さが良く分かった。その時の会話が題名の酸素飽和度を巡ってであった。

激しくせき込む大曾根に、速水は胸部CTを看護師に指図し、酸素飽和度(O2サチュレーション)も測らせた。「速水先生、大曾根先生のサチュ、60%しかありません」「60だと?挿管準備しろ、すぐ行く」。

そして速水が挿管を終えて戻ると、そこに伊達医師がいた。伊達も速水に念の為酸素飽和度を測らせる。「サチュが70%だと?信じられん」そして速水のCT写真を見た伊達は「ひどい間質性肺炎だぞ、お前。ここまで進行しているのに苦しくないのか?」。

速水は二度もPCR検査を受けていたが、いずれも陰性だった。そこで二人は考える。「無症候でPCR陰性のサイレント感染者か。厄介だな」

対応策の為、知事に近い世良という人に電話しながら、速水はこう漏らす「医療従事者の俺だから危険を適切に認識できます。無症状でこれだけの肺炎を抱えても、無症状だから検査せず、隔離もされず普通に暮らし、強い感染力故にどんどん周りに感染していく。本当に恐ろしいです」。

こういう物語は海堂だから書ける。『コロナ黙示録』の白眉はここにあると思った。

そして現在僕らはこの死病を前に終息を祈って、自宅待機している他ない。ワクチンは特効薬になるのか?聖書の黙示録の解釈は迂闊に口には出来ないが、「私は見た。すると見よ、青ざめた馬がいた。これに乗っている者の名は『死』で、よみがそれに従っていた。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す権威が与えられた」(黙示6:8)というような裁きの時が近いのかもしれない。

ノアの洪水の前も「神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたからである」というひどい状況だったからだ。