ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

不治の病に冒されたスーザン・ソンタグの壮絶な闘病

 最近スーザン・ソンタグの名著『隠喩としての病』を読み返していた時、息子のデイヴィッド・リーフがスーザンのそばに最後まで寄り添い、その闘病の一部始終を書いた本『死の海を泳いで』を知り、図書館で借りて読みました。
 私は職業柄いかにして平安な死を迎えるかといった本ばかり読んで来たので、これを読んでかなり衝撃を受けました。デイヴィッドは名門プリンストン大学卒業後ノンフィクション作家となった人ですから、母親の闘病生活をある時は冷静に、ある時は共に悲しみながら、決して情緒的な面に押し流される事なく描写しています。
 スーザンは1975年に進行した乳がんと診断されました。第四期という事ですから、現在のネット上の情報では、既に骨・肺・肝臓・脳などへの転移が認められるもので、手術の対象とはなっていません。しかし米国ではその当時ハルステッド法という根治的な乳房切除手術がまだ盛んに行なわれていました。それでスーザンもその手術に賭けたわけです。終わって見ると、確かにリンパ腺への転移が認められ、再発までは時間の問題と思われました。生存の確率は非常に低く、医者のほうが悲観的な態度であったわけですが、スーザンは科学の力を信じ、過酷な化学療法に耐えて、10年後に上記の本を書きました。その頃彼女は自分が寛解状態であると思っていたでしょう。しかし病気は形を変えて進行していました。
 それから19年後の2004年に骨髄異形成症候群(myelodysplastic syndromes; MDS=骨髄異形成症候群は,骨髄における多彩な血球形態異常を特徴とする慢性難治性の造血障害である。末梢血では多系統の血球減少を来し,急性白血病に移行する頻度が高いことが特徴である−順天堂大学血液内科のサイトにおける定義より)と告知されました。僅か9ヶ月後それがスーザンの命を絶ちました。このMDSとの戦いがこの本の主要な部分となっています。
 MDSは私たち素人にはほとんど知られていない病気なので、彼女は懸命に調べ続け、分かったのは、今度こそ彼女の生きる望みが断たれるという事でした。彼女は極めて狼狽し絶望的になります。精神的にも不安定になり、恐怖心から孤独になる事を極端に嫌うようになりました。そこで息子のデイヴィッドが出来る限り付き添う事になったわけです。
 彼女は不幸な結婚と離婚、重なる病を乗り越え、70代歳になってまだまだやるべき事が一杯ありました。特に小説を多く作る事が目標で、その為にも100歳まで生き続ける事が彼女の喫緊の課題でした。
 そのような人生の最大危機に際しても、彼女は神により頼む信仰には向かいませんでした。「母の無神論は死ぬまで岩のように硬かった」と息子は言います。
 ですから慰問に訪れた宗教関係の人々を彼女はことごとく追い返しました。そして彼女は日進月歩の医学の進展に着目し、一縷の希望を与えてくれる医師を捜し求めました。神ではなく科学の力に頼りました。彼女は友人でもあったエドワード・サイードの闘病も参考にしました。彼もまだ書き足りない為に、過酷な化学療法に耐え、多くの作品を残したからです。しかしそれは彼女の見立て違いです。このパレスチナ出身のクリスチャンに対しては、神が恵みにより少しの年月を与えて下さった為に、貴重な作品を残す事が出来たからです。神は大手を広げてスーザンの救いを待ち望んでおられるのに、明確に否定する彼女にどうしてそのような機会が与えられるでしょうか。
 スーザンは最終的に骨髄移植に賭けました。しかしそれは病院での彼女の状態をますます悪化させ、精神状態も朦朧として来ました。にもかかわらず病室を訪れる人々が差し伸べる愛の手を激しく拒みました。苦難のヨブを訪ねて来た3人の友人たちが沈黙したように、人々は沈黙しました。彼女はますます孤独になりました。
 そして息子の見守る中、酸素ボンベの中で彼女の呼吸は止まりました。壮絶な闘病に終止符が打たれました。
 息子デイヴィッドの筆致が冴えているだけに余計読後感として、口から出る言葉が見つかりません。一つだけ挙げておきます。
 「熱心に善を捜し求める者は恵みを見つけるが、悪を求める者には悪が来る」(箴言11:27)。
 この場合の善(ヘブル語トウヴ)は広い意味があり、「神の恩寵、慈しみ」と訳す事が出来ます。悪(ラー)はその反対です。