ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原発という「偶像」に対するドイツの覚醒運動

 2011年6月6日ドイツのメルケル政権は、「原発」という偶像を取り除くべく、「脱原発」の方針を閣議決定しました。
 朝日社説によると、全17基のうち8基をすぐに閉鎖、9基を2022年までに閉鎖するそうです。
 ドイツの原発開発の歴史は古く、1950年代の末から始まったようです。1960年に試験炉が動き始め、1966年に第1号炉が本格的に稼動し始めました(ラインスベルク原発)。恐らくこの頃は日本と同じく「夢の原発」として、人々の喝采を受けていたのではないでしょうか。
 しかし隣の旧ソ連で1986年チェルノブイリ原発の大事故が起きた為、その安全性と信頼は大いに揺らぎました。放射能汚染はドイツにも影響を与えました。ネットの情報によれば、35キロ圏内の男女出生率に大きな差が生じたとあります。第1号炉稼動から20後の事でした。
 そこでドイツでは上記ラインスベルク原発を、早くも24年経過した1990年に廃止しました。チェルノブイリの衝撃が大きかったのは間違いないでしょう。原発という「偶像」が、人々の心のうちでは早い時期から堕ちつつあったと見てよいでしょう。脱原発運動の萌芽があったという点では、その頃が第一次覚醒運動(リバイバル運動)とも言えるでしょう。ドイツでは石炭(無煙炭・亜炭など)の火力利用が90年代でも約5割を占めていましたし、風力・太陽光・バイオマス(=樹木、草、海草、農産廃棄物、林産廃棄物などの大量に存在する生物資源)といった再生可能なエネルギー普及でも、先駆的や役割を果たして来ました。原発を捨ててそうしたものへ復帰しようという事です(たぶんに私の推測が入ります。間違ったらごめんなさい)。
 それでも現在ドイツでの電力供給の23パーセントは原子力で占めているそうです。

 左の図はhttp://ehsmanager.blogspot.com/2011/04/germany-to-close-all-nuclear-plants.htmlからお借りし、若干修正しました。このうち右側緑の部分が原子力でそれがやがて消えます。
 そして2011年3月11日の福島第一原発におけるチェルノブイリ以上とも思われる大事故の発生で、メルケル政権は民意を反映させ、あと10年ほどで全廃という大勇断を下したわけです。原発終わりの始まりですが、この6月6日のニュースは全世界を駆け巡り、ネットでも相当なページが割かれています。それだけ衝撃が大きかったわけで、この原発という汚れた「偶像」からクリーンなエネルギー政策への大転換は、第二次覚醒運動(リバイバル運動)と言ってよいのではないでしょうか。
 実はこうしたリバイバル運動という言葉の持つ概念は、聖書の時代まで遡ります。
 何度もあったわけですが、汚れた人間の手による偶像を捨てて、聖なる書=バイブルに立ち返ろうという運動は、分裂したイスラエルのうち残った南ユダ王国のヨシヤ王の時代のものが有名です。列王第二22,23章に彼の統治の事が出ています。
 彼が王になる前、マナセ、アモンという父子による57年間の統治がありました。その間あらゆる悪が横行し、とりわけ主なる神の嫌われる偶像礼拝を行い、民にも行わせました。荒廃したエルサレムでヨシヤが王として立つと、早速宮殿の修理に取り掛かりましたが、その時大祭司が神の律法の書を中で見つけました。それこそ堕落した民を賦活させる偉大なエネルギーの元でした。ヨシヤは大リバイバル運動を起こし、民のうちに根強く浸透していた偶像礼拝という負のエネルギー源を断ち切り、聖書に基づくクリーン・エネルギー政策を、次から次へと断行したのです。
 翻って日本ではこのヨシヤのような、或いはメルケル首相のような、汚れた偶像(=原発)崇拝の廃止に向けて、大英断を下せるような器量のある人はいないのでしょうか。それだと日本は荒廃するばかりです。