ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『歌集小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』を出した渡部良三氏

 図書館で昨年11月に出た上記の本を借りて読みました。924首の短歌が収められ、末尾に渡部氏自身の回顧と講演が入っています。

 渡部氏は1922年に山形県で生まれました。そして中央大学在学中の1944年、学徒出陣で中国河北省へ行かされました。
 当時は毛沢東の創設した中国共産党軍の通称である「八路軍=パロ軍」が、盛んにゲリラ攻撃を仕掛け、日本軍は大苦戦していました。その為捕らえた八路軍兵士たちは虐殺していました。この本の最初はその捕虜となった5人の兵士を杭に縛りつけ、新兵48名が刺突銃で刺し殺すという、凄惨な場面での短歌です。 「朝飯を食みつつ助教は諭したり『捕虜突殺し肝玉をもて』」
 かくて1人、2人、3人…と八路軍兵士たちは殺されて行きます。
 「戦友の振るう初のひと突きあばらにて剣は止まる鈍き音して」「屍は素掘の穴に蹴込まれぬ血の跡暗し祈る者なく」。
 順番は遂に渡部二等兵のところに巡って来ました。彼は父親から信仰を受け継いでいるクリスチャンです。有名な十戒の一つである出エジプト20:13「汝殺すなかれ」(文語訳)は、しっかりと頭の中に入っています。ですから彼は断固拒みました。
 「『殺す勿れ』そのみおしえをしかと踏み御旨に寄らむ惑うことなく」
 上官はこの神のご命令と鋭く対立します。
 「『捕虜殺すは天皇の命令』の大音声眼するどき教官は立つ」
 これは「敵前抗命」と言って、「敵前逃亡」と共に銃殺刑に値します。しかし彼は八路軍の兵士と共に果てる覚悟をもって、「父なる神」のご命令に従いました。それによって彼は神に守られ、殺される事はありませんでした。しかしその後の彼を待ち受けていたのは、凄惨なリンチでした。
 「『死』に比べ凄しきリンチに今日も耐ゆ生命の明日は思わず望まず」
 でも神はここでも彼を守られました。
 「天よりの声きき徴しかとみて私刑に耐えむ召しのあるまで」
 それによって彼はよく耐え、作った短歌を衣服に縫い込め無事日本に帰還しました。
 この本の終わり近く、渡部氏はこう述べています。「戦争は自由を剥ぎとり信仰心を亡ぼし、愛を失わせる人類最大の罪悪である」と。
 この渡部二等兵が私だったらどうでしょうか。勿論十戒は知っていても、戦場でいのちを賭して、捕虜の殺害や敵兵の殺戮を拒む事が出来たでしょうか。
 異教の神々を信奉する450人の者たちと1人で対峙した預言者エリヤは、主によって大勝利しましたが、その後王の妻のひどい脅しに会って、急に恐れてしまいました。「彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った」(列王第一19:3)。
 そのように信仰者であっても弱い一個の人間に逆戻りするのがあり得る事を、聖書は顕示しています。非常に重い問いかけです。渡部二等兵と同じ行動がとれると断言は出来ません。しかし祈りに祈って、神の御心が示されたらそれに従うでしょう。
 渡部氏は戦後長らく沈黙を余儀なくされました。「汝殺す勿れ」を上官にも戦友にも説けず、掃討作戦での殺戮を目撃しながら、何も言い出せなかった弱さと悔いがあったからです。
 しかしその沈黙は破られ、1994年にこの本が刊行され、2011年岩波源現代文庫に収められました。それを読めた事の幸いを思い、改めて人を狂気に追い込む戦争を憎む気持ちが与えられました。