ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

もんじゅのトラブルを速やかに公表しない日本原子力研究開発機構の体質と聖書の犬

5月9日の新聞は、福井県にある高速増殖原型炉「もんじゅ」再開後の不具合をすぐ公表しなかった事を非難していました。
この原子炉は事故を起こしてからずっと停止しており、僅か3日前に運転を再開したばかりでした。新聞報道によりますと、今回のトラブルは別にしても、最低4回はトラブルを起こしており、1995年12月に生じた最初のものが、撮影ビデオの改ざんなどもあって極めて悪質だった事が分かっています。
 今回の過ちは、放射性物質漏出を監視する検出器の警報が合計6回も鳴っていながら、その公表を遅らせていた事です。
 日本で始めて「失敗学」を立ち上げた畑村洋太郎氏の『失敗学の法則』には、米国の安全技師ハインリッヒが確立した法則の事が載っています。「一件の重大災害の裏には二十九件のかすり傷程度の軽微な災害があって、さらにその後ろには、ヒヤリとしたりハッとして冷や汗が流れるような事例が三百件潜んでいる」。
 ですから事故から再開を急いで、徹底的な検証を怠った為に、今回のトラブルが生じたと言っても過言ではありません。
 それを警報だけで、原子炉の異常が発見されなかったから、公表を遅らせても大丈夫だろうと、たかをくくっていた事が暴露された為に、一斉に批判が出た次第です。
 それこそが日本原子力研究開発機構の「体質」であって、旧動燃時代からその体質を再三批判して来たのが、1999年にNPO法人として立ち上げた「原子力試料情報室」の代表高木仁三郎氏でした。
 高木氏自身がかつて原子核を研究する「科学者共同体」(*村上陽一郎氏『安全と安心』)に属していて被災し、原子力批判に転じて活動を続け、2000年に62歳の若さで亡くなりました。
 そのNPO法人を受け継いだ伴代表は、今回の対応について「過去にトラブル隠しや通報遅れを起こし、再三批判を浴びた教訓がまったく生かされていない。運転再開という注目される場面でマイナスの事柄を小さく見せようとするのなら、旧動燃の体質そのままだ」と、厳しく非難しています。
 この科学者集団は「ごまかし」の遺伝子をなお受け継いでいるというわけです。
 ではなぜこの事故に繋がらなかった「ささいなミス」を問題にするのでしょうか?
 それは実際事故が起きてしまった時、直ちに取り返しのつかない重大な人身事故になるからです。
 身近な例としては、1999年茨城県東海村で生じた臨界事故があります。その時私もそこからそう遠くないところに住んでいましたが、大変な事態になった事を実感しました。
 そこで被爆した三名の労働者のうち二人が悲惨な死に方をした事は、治療にあたった東大医学部の教授のインタヴューから明らかになっています。
 今回のもんじゅ問題に対してはその遺伝的体質を徹底的に「組み替えない」限り、何千、何万という人々がある日臨海事故で亡くなる事態が起こり得るのは目に見えています。
 上記の畑村氏は動燃時代に起きたこの「もんじゅ」の事故を徹底的に検証していますが、その「体質」とは、「世間に悪い印象を持たれてはいけない」という「脅迫観念」だと断言しています。これを拭い去らなければ、失敗の拡大再生産が起こり得る事を、氏は警告していました。
 そうした原子力発電所の事故の恐ろしさは人的ミスのほか、地震によっても生じ得るという事で、石黒耀氏の野心的な二作目の小説「震災列島」における浜岡原発の水蒸気爆発事故が、大いに参考になるはずです。私たちはそれを読んで、原子力についてもっと想像力をたくましくする必要があります。
 聖書ではこうした体質について、箴言で簡略に述べています。
 「犬が自分の吐いた物に帰って来るように、愚かな者は自分の愚かさをくり返す」(箴言26:11)。
 ユダヤの人々には犬は唾棄すべき対象でした。愚かさを繰り返す「科学者共同体」がいつか「犬」と呼ばれる日が来るかも知れません。いやそうあってはなりません。犬からの脱皮が緊急の課題です。