熊取六人衆の脱原発
「先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう」(伝道1:11)。
図書館から上記題の本を借りて読みました。熊取とは大阪府泉南郡熊取町大久保にある京都大学原子炉実験所の事を指しており、六人衆とはそこで研究を続けている(いた)六人の脱原発研究者たちの事です。即ち今中哲二氏、海老澤徹氏、川野眞治氏、小出裕章氏、小林圭二氏、瀬尾健氏の事です。そのうち瀬尾氏は1994年に亡くなっています。そして3人は既に退官し、今中氏と小出氏が助教として残っています。
2013年11月22日、熊取六人衆講演会in京都大学 熊取の学者たち―学問のあり方を問う」が行われ、瀬尾氏を除く4人が講演し、それが文集として収められ、都合で来られなかった小出氏については、2013年11月4日「核戦争を防止する岡山県医師」主催で行なわれた講演「この国は原発事故から何を学んだのか?」http://blog.goo.ne.jp/yuzunoaji/e/d6421f926a83b07e9a92276bbbaa3bbeで動画にアクセス出来ます)をそのまま活字にしたものが収められています。瀬尾氏については、「証言―女川原発差し止め訴訟」が別途収録されています。
画像も上記サイトからお借りしました。
発売元の七つ森書館編集部は、「六人それぞれが原発事故に警鐘を鳴らし続けてきたわけですが、おのずから生まれる《気風》というものを読み取って、サイエンスを志す未来の若者たちに伝えたい」と言っています。
全員が真摯に反原発に取り組んでいますが、パソコンを利用している方は、上記小出氏の講演の動画を直接見る事が出来ます。
幾つか付箋を入れてありますが、改めて気づいた事を挙げておきます。
川野氏の言う原発の反倫理性について。1立地が過疎地に押しつけられている、2被曝労働がなければ、動かない、3放射性廃棄物は10万年スケールでの安全管理が必要→未来の世代に推しつけることになる、4通常運転時にも放射能を出し続ける→被曝による健康影響、5事故時には、周辺環境を汚染し、個人の営みだけでなく社会を丸ごと消滅させる。
海老澤氏の述べる3号機瓦礫撤去作業(画像にて説明)。「積み重なっている瓦礫は、テレビカメラを見ながら一つひとつ遠隔操作によって切断撤去されています…まったく初めての経験ですから、作業の将来予測自体困難です」。*この時のがれきセシウムが約50キロ離れた福島県相馬市まで飛散していた可能性が高い事が判明しました。
小林氏。「やはり増殖炉路線が、日本の原子力政策の底流を厳然として支配しており、チャンスがあれば有無を言わさずいつでも噴き出してくる怪物のように感じます」。*日本原子力研究開発機構の職員がもんじゅ推進は自信がないと言っているのに、安倍政権は執拗に延命を図っています。
今中氏のサイエンス論。「確かでないこと、よく分からないこと、本当はここに大事なことがあるかもしれません」。
小出氏。『プルトニウムをつくるには、まず初めに原子炉が必要になります。原子炉というと原子力発電の道具だと思われるかもしれませんが、そうではありません。原子炉は、プルトニウムをつくりたくてつくられた装置です」。
「米国はたいへん都合のいいことを考えつきました。このどうしようもない、始末の方法もないゴミを劣化ウラン弾という兵器に変えて、敵国に捨ててくるということを考えました」。*何と汚い米国のやり方でしょうか!
「フクシマ原発から放出された放射性物質は、偏西風に乗って太平洋に流れて行きました…米国の西海岸は北海道や九州に比べればはるかに汚れている状態になりました」。
「殺人狂時代」という映画について、主人公が言った言葉「1人殺せば悪党、100万人殺せば英雄だ」。*原発を再稼働させようとしている自民党の人々は、確かに「英雄」かも知れません。
*瀬尾氏と角山弁護士との対談は割愛させて頂きました。
既におなじみの方々です。しかしこれらの研究者の良心的で地道な研究と、反原発の訴えがなかったら、私たちは政府の進める再稼働政策に、いいように翻弄されていたかも知れません。