ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

魯迅の阿Q正伝とキリスト

 この歳になって魯迅の阿Q正伝を初めて読んだなんて言うと、中学時代の友人で大東文化大学の教授をしている中村邦生君や小野民樹君には「何だお前は」と言われそうです。
 しかし実際読んで見ての感想は何だつまらないというのが正直なところでした。そう思った人は多いと思います。
 ですから解説を読まないと、魯迅が何を言おうとしていたのか分かりません。松岡正剛氏の長い書評があり、だいたい背景が掴めました。ちなみに松岡氏の書評の中には故高橋和巳氏の読後感も出て来ますが、若くして亡くなったこの中国文学の大家にしても、やはり最初は「正直言って、あまり面白いとは思わなかった」そうです
 魯迅は1904年に中国から日本に来て、仙台医学専門学校に入学しますが、その時解剖学の藤野先生を知りました。その先生の人となりを描いた『藤野先生』の中に、既に阿Q正伝のモチーフが出て来ているようです。つまり第二学年の時、ロシアのスパイをしていた同胞が、日本軍によって銃殺される場面をニュース・フィルムで見てしまったのです。居合わせた学生たちは皆中国の同胞が殺されるたびに「ばんざい」を叫んでいました。またフィルムに出て来る刑の執行を見学していた同胞も、それを嬉々として楽しんでいたのです。魯迅はそのシーンを見て衝撃を受けて、結局医学者になるのをやめ、ペンをとって文学で中国の改革を目指すようになりました。
 そうした運動中に書かれた阿Q正伝でしたが、阿Qも周囲の人たちも皆平凡で無知で罪深い者でした。彼は革命の事も知らずに革命党に参加しますが、結局のけものにされ、挙句の果てには略奪者という罪名で捕らえられ、縛られたまま市中を引き回されて銃殺刑になりました。群衆は彼の乗った車の後を追いかけ、拍手喝采したのでした。
 解説によると阿Qも群衆も皆当時の中国人を象徴していました。
 その場面を読みながら、ふと思いついたのが聖書の救い主イエス・キリストです。キリストも嘲り拍手喝采を続ける群衆の見守る中で十字架刑になられました。しかし阿Qと全く対照的なのは、「御子は、見えない神のかたち」(コロサイ1:15)だった事です。従って阿Qと異なり罪は全くありませんでした。
 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです」(ピリピ2:6−7)が、たとえ大工の子として育ちながらも、「ますます知恵が進み」(ルカ2:52)とあるように、神としての知恵は最後まで備えておられました。
 でも刑場に向かう前の裁判では、群衆は人殺しのバラバを解放を求め、代わりにイエスを「十字架だ。十字架につけろ」と叫んだのです。
 ですから群衆は当時の無知なユダヤの人々を象徴していましたし、聖書の普遍性を考えた時、叫んでいるのは今日の私たち自身でもあります。
 それを知り、悔い改めてイエスを信じた人々が、現在も聖書とペンを持って、且つ魯迅の気概をもってイエスの事を宣べ伝えています。