ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原民喜の死

 「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです」(ローマ6:4)

 バプテスマは通常「洗礼」と訳される。罪の汚れを洗い流す儀式といった意味で用いられる。しかしそれは間違っている。正しくは「浸す」というギリシャ語の動詞から出た名詞で、「浸礼」が適切な訳である。人は水に浸されれば、短時間で死ぬ。一方イエス・キリストは十字架で死に、葬られ、三日目によみがえられた。それを良き知らせ=福音と言う。その事への信仰で人は救われるが、次のステップとして、キリストのからだである教会に加わり、そのキリストを証するという大切な任務が与えられている。

 その教会への加入の時実施されるのがバプテスマである。それはキリストの死・埋葬・よみがえりを象徴的に表す儀式である。だから人は豊富な水のあるところで、その中に浸される。それはキリストと共に死んだ事を表わす。短時間で本当に死んでしまうが、教会の儀式は一度全身を浸し、すぐ起き上がらせる。一瞬の出来事である。起き上がり、新たに教会を通しての神の栄光を表わすようになる第一歩が、「新しいいのちに歩む」という事である。自分のうちに巣くう「罪」が全く消えて、完全にきよい者となったという意味での儀式ではない。それどころか、聖書のみことばを通し、ますます自分が汚れた、傷だらけの器である事が分かって来る。罪深さをいっそう自覚するようになる。逆にそれを通し、聖いのはただ神だけという事を知らされ、それゆえに神の聖名を讃える。そこで神は人を聖いと見做されるのである。

 原民喜という人の名前は、戦後横須賀から帰還した父親の書斎にあった本で知った。代表作とも言える『夏の花』がそこにあった。広島に帰省中の一九四五年八月、投下された原爆の被災者となるが、奇跡的に無傷に近い状態で生き延び、その作品を執筆した。
 まだ中学生位の歳だったが、読んで初めて原爆の悲惨さを覚えた。その後再読する機会は無く、詳しい内容は忘れてしまった。
 今回図書館で梯久美子というノンフィクション作家の書いた『原民喜』という本を借りて読んでみた。
 衝撃的だったのは一九五一年、私の生まれ故郷である東京都杉並区西荻窪近くの省線国鉄の事で現在のJR)のレールに身を横たえ自殺した事だった。当時五歳だったので、父はその事に触れなかったのだと思う。
 実は父は一九四八年、作家太宰治が、これまた生家に近い玉川上水で、愛人と共に身を投じ自殺した場所を見に行っている。後になって父に背負われてそこに行ったが、鬱蒼と木々の生えている下の濁流を眺め、恐怖におののいた事を良く覚えている。
 太宰が聖書と接点を持っていた事はよく知られている。作品の中で頻繁に聖書個所が引用されている。それらを見ると、彼の読み方が中途半端でなかったのは間違いない。しかしそれはあくまで教養としての聖書であり、救い主イエス・キリストを通しての神の愛が、心の琴線に触れる事は無かった。だから最後はユダと同じように、自殺で終わってしまった。
 では原民喜はどうかというと、一五歳の時に姉から譲り受けた聖書を読んでいる。彼も姉の伝えたキリストの愛に心を惹かれている。
 「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます」(マタイ六ノ二十六)は、太宰と同様彼の気に入っていた聖句だった。
 しかし梯によれば、彼が教会に通った形跡は無かったそうである。
 父や姉の死と向かい合い、死んでどうなるのかという思いは、彼の心に終始付き纏っていたが、聖書にある「神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ六ノ二十三)を彼に伝える者は誰もいなかった。
 原爆投下を目の当たりにし、死者の中からほぼ無傷のまま生かされた彼は、その「惨タル光景」の証人として生きようとした。戦後の貧しい生活の中で、必死になって自力で生きようとした。しかし「死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい」(ローマ六ノ十三)とあるように、生かされ神の道具として身を献げるべき事を伝える者もいなかった。
 荒涼とした人生の晩年に「虚無感」を抱きつつ死を決意した彼を翻意させ、信仰に至らせる者はいなかった。
 カトリックを自称する遠藤周作と親交があった。しかし遠藤が世に伝えたのは何か?「無力なイエス、何もできなかったイエスの悲惨な死」。だから遠藤は原をイエスに重ねた。原の凄惨な自死を「何てきれいなんだ」と記した。

 しかしイエスの十字架での死は、断じて無力の為ではなく、何も出来なかった為でもない。そこを間違うと、イエスの復活=良い知らせ=福音は無くなってしまう。パウロという伝道者は「もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です」(コリント第一15:16-19)と言っている。実際には聖書のキリストは「神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました」(ピリピ2:6-9)とあるように、今も生きている全能の神である。

 原は原爆の悲惨さを宣べ伝えるべく生き延びた。しかし戦後の大衆はその事より、毎日を生き抜く事で必死だった。原の言い分に耳を傾ける人々は次第に減って行った。

 原の自殺の真因はいろいろ取り沙汰されているが、良くは分からない。聖書のみことばが正しく彼に伝わっていれば、彼はその労苦の中に幸せを見出す事が出来ただろう。しかしそうではなかった。「すべては空しく、風を追うようなもの」となってしまったから、サタンの誘う自殺へと追い立てられたのではないか。

 私たちは聖書の救い主イエス・キリストを正しく伝えなくてはならない。