ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

人間なる裁判官による結婚の再定義?

 7月9日のニューヨークタイムズ電子版の社説に「結婚の再定義」という題のものが載りました。
 これまで連邦政府の公式的な結婚の定義では、唯一男女間のみという事がかたくなに守られて来ました。それが変わり始めたとの事です。
 マサチューセッツ州の連邦判事タウロは8日になって遂に立ち上がり、その定義には決して合理的な根拠がないと言いました。それは同性愛のカップルを差別する事になって憲法違反だというわけです。そして同性愛者の結婚を禁止する連邦法は違憲であると判決したのです。
 それまで同性愛は「堕落したもの」「不道徳なもの」であり、男性同性愛者同士の結婚は男女間の愛の価値を下げるもの、などといった米連邦議会議員たちの主張が盛んに行なわれていたのに、この有様です。しかし1996年のビル・クリントンによる「結婚擁護法」以後、今や5つの州とコロンビア特別区では、全てのカップルに対して認可の証明書を出しています。
 ニューヨークタイムズの社説は明確な主張をしていないようで、その記事の最後に、この事例では正しい方向に向かっているように見えると述べています。
 かつての米国は西部開拓などでインディアン虐殺など汚点を多く残しましたが、聖書に関する限りかなり保守的で、結婚についても聖書の教えに固執していたはずです。
 その聖書のみことばを挙げますと、これまでもブログでしばしば言及しましたが、以下のものが基本です。
 「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」(創世2:24)。
 「イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」(マタイ19:4−6)。
 そのように主である神イエス・キリストは、結婚というものが男女間のものである事を明確に述べています。そして結婚した二人はもはや一体である事も述べておられます。ですから本来離婚という事もあり得なかったのです。
 しかし堕落した人間は常に神のおきてに逆らいます。
 創世19にソドムという町が出て来ます。その町の男たちは若者から年寄りまで、同性愛者ばかりでした。「ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家(*ロトの家です)を取り囲んだ。そしてロトに向かって叫んで言った。『今夜おまえのところにやって来た男たち(*神聖な神の使いたちです)はどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ」(創世19:4−5)。
 ここで「知る」と訳された言葉は「性交する」という意味です。従ってここではソドムの者たちはみな、男と男の間の輪姦を意図していました。
 当然神の怒りはこの町に対して注がれました。19:25でその町の全滅が述べられています。
 この町の名前から英語のソドマイト(=男色者)という言葉が生まれています。聖書では専ら男と男の間の性交ですが、ギリシャのレスボス島の人々という意味で「レスビアン」という言葉も生まれています。ただしこちらは本当に女性間のセックスであったかどうか定かではありません。
 再度述べますと、「結婚」は人創造のはじめから神の定められた神聖な制度です。「聖書大国」だったアメリカは、今や未信仰の人々(判事も含め)が大半を占めるようになりました。必ず神からの刑罰がアメリカに臨むでしょう。